沖縄県の平均寿命(2015年)は男性は36位にまで下がったものの、女性は7位と、長寿県の面目を保っています。その健康長寿の地域の中で、最も長寿者が多いのは北部の大宜味村だと言われています。大宜味村にはシークヮーサーという特徴的な野生のミカンが自生していて、シークヮーサーには血糖値を下げる作用があり、大宜味村の高齢者は血糖値が低めであることから、シークヮーサーこそが長寿の食だということで、村だけではなく県の特産品としても、そのジュースと加工品が全国に広まりました。
沖縄県に生まれ育った人たちは、シークヮーサーだけで健康で長寿になったわけではなく、豚肉や海産物、大豆、沖縄では採れない昆布など、さまざまな食品を食べてきたことが一番のカギだということは充分に知られていることです。
長寿地域とは何を指すのかということですが、日本人の平均寿命が70歳を超えた1975年(昭和50年)に、人口当たりの70歳以上の人口の割合が高い地域を長寿地域と規定しました。その当時、すでに地方から都市部への人口の移動が始まっており、70歳以上の人たちが多い地域は過疎地となっていました。地域の総人口に対して70歳以上の人たちが多いのは、若い世代が移動していったためで、その地域の食事が必ずしも長寿食ではなかったのです。
こういったこともあって100歳以上の人が多い地域を長寿地域とする考えも出てきました。2018年の100歳以上の割合は男性が1位は東京都で、沖縄県は20位となっています。女性の場合は1位は島根県で、沖縄県は11位となっています。今から10年ほど前には沖縄県が1位であったので、急速に長寿地域から離れていることになります。
過疎地域の食事を長寿食と混同することなく、本当に長寿の食事は何かを探っていく目が必要になってくるのです。
「健康長寿には、特定の食品ではなく、粗食が大事」との考えも登場していますが、その例として、よく取り上げられるのは山梨県の棡原村(現在の上野原市棡原)です。単に長寿者が多いだけでなく、長寿者が元気に働き、まさしく健康長寿だったことが一つの理由ですが、もう一つ「逆さ仏」という悲しい言葉も有名になりました。
逆さ仏というのは、親よりも先に子供が亡くなり、親が子供の葬式を出すことで、その数が第二次世界大戦後に急激に増え、昔ながらの食事の良さと、戦後の食事が健康と寿命に大きな影響を与えたことが、多くの研究者によって広められました。
戦前の食事は肉食が少なく、魚も卵も多く食べていたわけではなく、野菜や穀類、豆類が多かったのに、戦後は肉食や脂肪の量が増え、野菜や穀類の割合が減り、その食事を早く受け入れた若い世代の病気が増え、寿命も短くなったとの報告でした。
このことは事実ではあったとしても、こうした伝統的な粗食が健康長寿の理由であり、伝統的に食べてきたものから離れた若い世代が早く健康を害したという考えは、正しいとは限りません。
棡原地域は、何度か追跡調査が行われていますが、それによると早く亡くなったのは戦後に東京都の八王子市に働きに出た人たちに多く、慣れない環境での仕事、労働時間と通勤時間の長さ、歩く機会の減少、飲酒の機会の多さなどが影響していることがわかりました。村の中での生活では年に数回の飲酒であったのが、高度経済成長の最中、毎週飲むようになり、早朝に出て、遅くに帰宅するという生活習慣の乱れもありました。
もちろん食事の変化は大きかったのでしょうが、他の要因を除いて健康長寿の話をすることはできないはずです。