健康・火の用心46 端羊羹の発想

健康づくりの活動をしていると、おいしいところ、つまり目立つこと、成果が出やすいこと、他人から褒められることを率先してやろうとする人が出てきます。誰しも、同じ時間をかけて、同じ労力をするなら、よりメリットがあることをしたがる気持ちがあることは認めます。そういったメリットに対するモチベーションがあるから積極的に取り組んでくれるというのは間違いがないことです。

しかし、みんながおいしいところを求めたら、それ以外の肝心な部分が手付かずになってしまうことにもなります。おいしいという言葉を、味としておいしいということに置き換えて考えてみると、思い浮かべるのは端羊羹(はしようかん)です。

子どものときに母の実家の寺に預けられていたときに、近所の子どもたちからは、おいしい饅頭が食べられる、貴重品だった羊羹が食べられることを羨ましがられたことがあります。寺に饅頭はつきものであっても、葬式や法事がないときには饅頭があるわけではありません。

あるときでも、お客様が優先で、子どもに回ってくるのは時間がたったもので、すでに固くなったものがほとんどです。それを天ぷらにして温めて食べるということを子どもの知恵としてやっていました。

羊羹は時期に関係なくあったものの、お客様に出すのは真ん中のよいところで、子どもが食べられるのは切れ端の端羊羹でした。今の羊羹なら両端の形が整わない部分でも味に変わりはないのですが、当時の羊羹は端に砂糖が固まっているようなものでした。甘いものに飢えている子どもなら喜んで食べたでしょうが、甘すぎて食べにくいものではありました。

それでも何も食べられないことに比べたら贅沢といえることでしたが、端羊羹を食べて、空腹を解消して、寺の手伝いをする、それはおいしい部分の羊羹をお茶とともに出すことであっても、喜びとしてやっていました

それと同じように、おいしいところは、それを望む人にやってもらって、足りないところを手助けする端羊羹の発想で取り組むようにしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕