健康流通:概論9 「私が証拠」は通用しない

有益な情報を伝えるときに、口にしてはいけないこととして言われ続けてきたことがあります。それは「私が証拠」という言葉で、この他にも「私を見習えばよい」「私が言う通りにすればよい」というのも同様に扱われています。

中でも健康づくりの情報を伝えるときには、“絶対に”と前に別の言葉がつけられるほど、「私が証拠」と言うことは禁じられるのですが、なぜか健康に関わることに限って、「自分の言う通りにすればよい」「私がいい証拠」と平気で口にする人が目立っています。

エビデンス(科学的根拠)は研究の世界では最重要テーマであって、エビデンスのないこと、エビデンスと呼べるほどの成果が得られていないことは、証拠の一つとして表に出すものではないと言われ続けてきました。

身体のことは、見た目は一緒であっても個人差が大きくて、エビデンスが得られた内容であっても継続されなかったら、意味をなさないことは当たり前にあることです。“三者三様”でも“十人十色”でもなく、“百人百様”でもなくて、“千差万別”の違いがあることです。

それなのに、たった一つのモノサシに当てはめて答えを出そうとしても無理があり、答えが出されたとしても、それが正しいと判断できるのか、誰が判断するのかということが指摘されます。

このような指摘をすると「私がモノサシ」「私が判断する」と言い出す人もいるのですが、それぞれの違いがある人に、一人だけのモノサシを当てて、これに合っていれば正しい、合っていなければ間違いと言うのは、それこそ間違いであると考えています。

それぞれの千差万別の人が、自分にとってよいと思えること、これをベースにして考えていけばよい、行動していけばよいと感じられることを示すべきであって、自分とは違うから不正解というようなことは、それぞれの人の一生の幸・不幸にも関わる健康については、主張すべきことではないという考えを基本としています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕