奇跡の軌跡9 名前が出ない物書きへの第三歩

厨房機器業界の機関誌の編集の仕事を始めたとき、他の人の代わりとして引き受けたことから、いつまでも続くわけではないという感覚があり、厨房に関わる業界として調理師の団体との付き合いを並行して始めました。

調理師の団体が数多くある中で、たまたま知り合ったのは病院の調理師団体でした。調理師の世界は専門調理師が和食、洋食、中華、寿司、麺に分かれているところに、新たに給食用特殊料理が検討されているときで、それまで病院給食の調理師は調理の専門家とは見られない時代が長く続いてきた中で、ようやく注目され始めた時期でした。

知り合ったのは日本病院調理師協会で、当時の主要メンバーは国立病院と大学病院の調理師でした。病院調理師は、病院の管理栄養士の指導のもとに仕事をしていることから、病院の管理栄養士との交流が始まりました。

その中でも親しく交流することができたのは、国立病院の管理栄養士で、そのトップの山本辰芳先生は日本栄養士会の理事長、日本臨床栄養協会の副会長でもありました。付き合い始めたときは、国立がん研究センターから国立国際医療研究センターの栄養管理室長に移ったばかりのころでした。

日本臨床栄養協会の機関誌は年4回の季刊発行で、主な記事は協会の大会や研究会の講演・講義内容を文章化して、掲載するというもので、他人の代わりに書くことを仕事にしていた私は得意としていることでした。

ただ、内容は臨床栄養という特殊な世界で、初めは医学用語、栄養学用語、科学用語もよくわからない状態でしたが、“門前の小僧”も長く続けていると経を読めるようになるのと同じようなもので、1年が経ったころには医師や管理栄養士に確認しなくても何を言っているのか、何を伝えたいのかがわかって、文章にすることができるようになっていました。

講演や講義を担当した先生の名前が出るだけで、誰が文章にしたのかは、どこにも書かれていないという、書籍とは違う形のゴーストライターをすることになりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕