私という漢字は“わたし”と読むのか“わたくし”と読むのかという語論は長く続けられてきました。意味合いとしては同じというよりも、まったく同じであるというのが戦後教育の正解ということになるのかもしせませんが、それ以前は「自分のことを示すときには“わたくし”」と発音するのが正しくて、“わたし”と発音する場合は今とは違った感覚であることを支えるために別の漢字が使われていました。それは「和多志」です。
和多志の意味合いは、それぞれの漢字が持つ意味をつなげてみればわかることで、「多くの志の和」ということで1人ではなくて多数、個人の存在というよりも集団の志の結集という意味が出てきます。
和多志を私と変えさせたのは、戦後に日本を統治したGHQ(General Head Quartres:連合国最高司令官総司令部)の策略だという説があり、それは日本人の精神性を奪い、弱体化させるためであったというものですが、もっともだ、という反応がある反面で、日本人を奮い立たせたい人の謀略だと主張する人もいます。
和多志と聞いて(見て)、神様を思い浮かべた人は歴史ファンに間違いがないと決めつけたいくらいで、和多志大神は大山祇神の別名だと伝えられています。大山祇神は大山祇神社の御祭神で、伊予国一宮にあります。現在の愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座しています。
大山祇神こと和多志大神は戦いの神様で、神が後ろについて戦うというのはGHQには都合が悪いことだったはずです。
“わたくし”と読まれていた私が“わたし”となり、もともとの和多志が使われなくなったことで、和多志が“わたし”であったということは残らなくなってしまいました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕