父の仕事の関係で転校が多く、小学校が3か所、中学校が2か所、高校のときには住まいが2回、東京の大学のときには4回の引っ越し、社会人になっても6回、そして岡山に移住後も2回と、引っ越しの連続でした。そのたびに体調を崩していました。
新たな住まいに移るたびに「住めば都」と周囲に言われていたのですが、「本当に都と感じることができるのだろうか」と感じることばかりでした。
長く住んでいる人には気にならないことでも、初めて住んでみると苦痛ということもあります。初めて通った小学校は山奥で、静かすぎる環境でしたが、都市部に移ると近所の音が気になって眠れない、田園部に移ったときにはカエルの鳴き声で眠れないという状況でした。中学生のときには国道沿いで、夜にも大型トラックが頻繁に軒先を通過するということで、1週間は不眠状態で新たな学校に通うという経験もしました。
社会人になってからも音楽家が上の階で楽器を弾く、外国人が下の階で騒ぐ、深夜と早朝に救急車が毎日通過するといったように、引っ越しをするたびに悩まされていましたが、そんな音であっても慣れてくと平気になってくるので、なんとか“住めば都”と感じないわけでもありませんでした。
ところが、臭いだけは慣れるということがなくて、大学生のときに初めて住んだアパートの隣が豆腐屋で、早朝(ほぼ深夜)から仕込みに入るので、臭いで目覚めるという日々でした。迷惑をかけているというので、早朝から豆腐を持ってきてくれたことから、栄養摂取に困ることはありませんでした。
岡山に移住してからはビール工場の酵母の臭いが漂い、隣の畜産会社の牛の臭いが混ざって、さすがに長くは住めなくて、逃げ出すように今の住まいに移りました。だから条件をつけて探すことができず、今の住まいは目の前が救急搬送もある病院で、救急車は毎日のようにやってきます。それ以外にも別の救急病院に向かう救急車も通過します。
山陽本線の列車の音は日中は気にならないのですが、夜から朝までは貨物列車の通過音で目が覚めることはあるものの、音は慣れるので平気という感覚です。
新たな仕事が始まり、岡山市東区に居続けてよいのか、仕事の場に近い中央に移動するのか、それはまだわからないのですが、臭い以外であれば、きっと慣れて「住めば都」になるはずだと思って、変化に合わせて目の前の仕事をこなしているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕