あくまでも噂話112「一生懸命か一所懸命か」

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではないのですが、みんなが誤用すれば、それが本当の意味になるというのは用語の世界では当たり前に起こっていることです。テレビ番組で「すごいおいしい」とコメントしても「すごく」とテロップが出るのは、まだ誤用と見られているからですが、「全然おいしい」との発言に「断然おいしい」とテロップが出ないのは、すでに誤用が「みんなで渡れば〜」状態になっているということです。

一生懸命と一所懸命が示されたら、正しいのは一生懸命のほうで、一所懸命は間違いというのが一般の認識です。しかし、語源を紐解いていくと、「一所懸命」は中世の武士が賜った領地を命がけで守り、生活の頼りにすることに由来しています。時代が武士の世から庶民の世に変わると、命がけで取り組むのは与えられた仕事であって、一生を通じて続けるということで「一生懸命」が当たり前に使われるようになりました。

当たり前に使われるまでは「一所懸命」が正しくて、「一生懸命」が誤用とされていた時代もあったのですが、テレビでも新聞や雑誌でも、「一所懸命」と原稿に書いたら、「一生懸命」に直されます。後から登場した言葉が、前からあった言葉を駆逐した例としてあげられるのが、この一生懸命と一所懸命なのです。

では、一所懸命は使われなくなったのかというと、伝統芸の代表ともされる歌舞伎の世界では、襲名披露の口上で「一所懸命に」という言葉が使われています。これをテレビ番組のテロップで「一生懸命」に直して出していた放送局もありましたが、それこそ誤用です。

歌舞伎の世界は、代々伝わる屋号が一所で、その屋号に伝わる名跡を襲名するのも一所懸命であり、命がけで芸の道を突き詰めていく覚悟の口上が「一所懸命」です。

今の世の中は会社に定年まで勤める「一社懸命」の時代ではなくて転職が前提で就職する、しかも就社ではなくて就職の時代であるだけに、ますます一所懸命は死後になりつつあると言えそうです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)