先祖の霊を迎える目印として玄関先や庭などで焚かれる迎え火と、お見送りの送り火はお盆の風習として続けられていますが、自分にとっては苦手な行事の一つです。
お寺の孫として生まれて、幼いときには母の実家の寺で親元を離れて暮らしていて、寺には機会があるたびに行っていました。東京で社会人になってからも、お葬式に行くと葬儀屋と間違われるくらいに作法を知っていたこともあり、仏教の習慣については多くの人に聞かれることがありました。
同じ仏教であっても宗派によって作法は異なるものの、基本的なところは一緒で、それこそ葬儀屋の新入社員の基礎講座くらいの知識はあります。これは仏教関係の書籍が図書館に山のようにある大学で学んでいるときに、時間潰し(?)として図書館に通っていたときに覚えました。
大学生のときに出身地(新潟県柏崎市)の選出の国会議員の関係、校外で学ばせてもらっていた文学者の先生の関係で、大学2年生のときから東京で異なる宗派のお葬式の手伝いをさせてもらっていて、宗派による違いについても実践を通じて学ばせてもらっていました。
仏教関係者や葬儀屋を目指していたわけでもないのに、積極的に学ぼうとしていたのは母の実家の宗派が浄土真宗だったからです。浄土真宗だけが他の宗派と大きく違っていることがあって、その違いから戸惑うことがあったからです。
浄土真宗には迎え火も送り火もありません。精霊棚(盆棚)などの用意もしません。浄土真宗には地獄がなくて、亡くなった先祖は全員が極楽浄土に行きます。親鸞聖人の教えをもって、この世で命を全うした先祖が、お盆のときだけ、この世に戻り、子孫の供養を受けるようなことはないからです。
岡山に一緒に移住した妻の家族は別の宗派なので迎え火と送り火をして、精霊棚や仏飯の儀式もします。それぞれの宗派の作法については知識としてはあるのですが、ピンときていない儀式に付き合うことには、この年齢(歳ではなくレベル68と表現している)になっても違和感があるのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕