2023/9/13 途中から話を聴くことの怖さ

倫理法人会のモーニングセミナーに初めから参加できないときには、お休みにすることにしました。初めから参加できないときでも、講話だけでも聞くことができればよいのではないかと言われたこともあるのですが、私は閃輝暗点のために早々に運転免許証を返納したので、モーニングセミナーに参加する会員の方のクルマに同乗させてもらっています。

それができないときの移動手段としては公共交通機関の利用となるのですが、会場に6時30分少し前にしか到着できないので、講話は途中から聴くことになります。それでも聴かないよりもよいではないかと言われましたが、それには抵抗があります。

全部を聴けないのが嫌だというのではなくて、導入部分を聴いていないと、とんだ間違いを起こすことを怖いことだと思っているからです。表現法の一つに“逆説的”という手法があって、わざと正しくないと感じさせることを言っておいて、実際には正しいことであることを表します。

正しいことだと聴衆者に感じさせておいて、それをひっくり返すことを言って、なるほどと強く感じさせることができるという、そのギャップが重要になります。最初の部分を聴いていないと、正しいことをそのまま受け入れるだけで、講話者の意図を充分に感じ取れないことになります。

これはまだよいほうで、初めに重要なことを言っておいてから、続いて否定するようなことを言って疑問を感じさせて惹きつける方法があります。これも逆説的な手法の一つで、「嘘から出た実(まこと)」とも言われることがあります。

わざと嘘のような話をして、違和感を抱かせたあとに、初めの本当の話を最後に一瞬だけして終了する方法です。嘘のようなというのは嘘だけではなく、“話を盛る”ことも含まれます。講話の終了時間が迫ったことから、ほんの一瞬だけ話すということもあり、そうなると導入部分を聴いていないと間違いをそのまま覚えてしまうことにもなりまねません。

そのような手法をする方の講話は、入会してから半年ほどなので、まだ2回だけの経験なのですが、その手法を誰がするかわからないだけに、初めから講話を聴けないことに怖さを感じてしまうのです。

「そこまで真剣に講話を聴かなくてもよいのではないか」と言ってくれた会員の方もいるのですが、自分の基軸と決めた単会では、聞き逃しがあってはならないというこだわりがあります。途中参加でも数多く聴いたほうが勉強になるという考えもあるのは承知していながらも、数は少なくとも全部を聴いて、それぞれの方の経験と意図を受け止めたいという気持ちのほうが今は優っています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕