ポストコロナ「旅は道連れ要はお酒」1

いくら新型コロナウイルス感染を防ぐためだとは言っても、一人だけで外出をしたり、身近な人とだけに限られて行動するのは楽しいことではありません。コロナ後の行動制限解除も、全面的な解除ではなくて、1台のバスに多くの人が乗り込んで、車窓を楽しみながら、お酒を飲む、好きに話をするという「旅は道連れ要はお酒」ということまでが許されるわけではありません。収束ではなくて、ほとんど感染確認者がいないような状態になっても、まったく以前のような飲めや歌えという旅行は望めないというのが多く人の認識です。
旅行ということでは、昔から「旅は道連れ世は情け」という諺(ことわざ)が使われてきました。これは旅行のことを直接指しているわけではなくて、旅をするときに道連れがいると心強いのと同じように、世の中を渡っていくには人情をもって仲良くやっていくことができる道連れがいることが大切だということを指しています。
これは、コロナ禍で萎んでしまった地方創生の活動でも同じことで、一緒に道連れとして、これからの地方創生に取り組んでくれる人がいたら、どれほど心強いかと感じます。しかし、コロナ前に計画していたことが中止となり、途中まで実施していたことも中断となって、もう懲りてしまったという道連れ候補も少なくありません。
ある地方の温泉・宿泊施設を自治体が持っていて、これを活用して集客をすることで途中まではうまくいっていました。施設の職員が自治体に関係する人たちということで、サービスの質ということでは疑問符があったのですが、喜んで参加してくれる人の姿が従業員の気持ちも変わってくるはずという好意をもって見ることとしていました。
ところが、感染拡大のために途中で中断になりました。民間の持ち物ではなくて、自治体の施設で何か事が起こったら大変なことになるというので、複数年で計画していたイベントは中止となりました。それだけでは済まずに、宿泊施設は閉鎖状態で、働く人も正職員ではなくて自治体からの出向以外はパート採用となりました。正職員はフルタイムで、お客さんがいてもいなくても、ずっと施設にいて、仕事があってもなくても給与は変わりません。それに対して、パートタイムは働いた時間だけの給与となります。
これでは、モチベーションが上がらず、終息ではなくて収束したとしても、以前と同じようなサービスができるのか、以前と同じように集客してよいのか、先が見えない状態となっています。受け入れ側が変わらないことが、以前と同じ集客の大前提であるので、「旅は道連れ要はお酒」と楽しんでもらうことが計画しにくくなった例も少なくないのです。