災害に襲われるたびに繰り返し登場するのは「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉がメディアに登場します。天災は、その悲惨さを忘れた頃に、また襲ってくるものだという教訓は、過去の災害のことだけではなくて、今まさに災害級の被害をもたらすことになった新型コロナウイルス感染症の次の感染拡大の波を指し示す言葉となります。
コロナ後を考えるシリーズコラムにはピッタリの「天災は忘れた頃にやってくる」をもじって「天才は忘れた頃にやってくる」としたのは、単に天災と天才が同音異義で、文字も一つが一緒だということではなくて、「天災は忘れた頃にやってくる」が本当に意味することを知ってもらいたいことと、その意味を知ったあとにコロナ後に活躍してほしい“天才”を誕生させる活動の重要性に気づいてほしいとの思いからです。
「天災は忘れた頃にやってくる」と聞くと、一般には油断禁物、用心を怠るな、備えあれば憂いなしという意味を思い浮かべるかと思います。しかし、油断禁物と言いながらも天災のことを忘れてしまうからこそ注意が足りない結果として天災が起こるのであって、天災のことを忘れないようにすることが防災の担当者だけでなく、すべての被害を受けた人たちが心しておかないといけないことです。
とはいえ、苦しい思いをしたことは忘れてしまいたいという思いは誰にもあることで、“喉元過ぎれば熱さ忘れる”という感覚で、何事もなかったかのように以前と同じことをやって、同じような結果、同じような成功体験を得たいということを止めることができないのが普通のことです。
自分にとって厳しい結果となったことは忘れないというのは、極めて記憶がよい人の特技のようにも感じられがちですが、あまり記憶がよくないように思われがちな発達障害の子どもたちは脳に刻まれた記憶が残り続け、しかも厳しく感じた記憶が減弱することなく、ずっと刻まれたままということがあります。ここで言う“天災”は発達障害者のことを指しています。
発達障害の子どもは、すべての子どものうち10%は存在していて、その特性は改善されることはありません。それだけにコロナ禍の厳しかった体験を、できることなら生涯引きずることがないよう、収束後に再びコロナ禍に襲われないように細心の注意と対策を取っておくことが重要になるということです。