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「よいことだけを話したい」と願っても、よいことをしていないと、よいことは話しにくいものです。よいことを話している人がいても、本心が違っていれば、よいことのように聞こえても、実際は違っているというのは、実際にはよくあることです。

「よいことだけを話したい」と願うのであったら、よいことを実践することが前提となります。実践していることがよいことであったように見えても、“裏のミッション”があって、それに従って動いているだけ、という人を何人も見てきました。

よさそうに見えるというのは特別なミッションを仕掛けるときには重要なことで、“よからぬこと”を考えていても、それを見破られることもなく、また気づかれることもないようにするのが戦略というものです。

その戦略にはまることなく、よいことを実践しようと考えたら、まずは“よからぬこと”を考えている人とは付き合わないことですが、善い人のように見せかけて近づいてくる、もしくは提案などを受け入れてくれる人であること(可能性)を見抜かなければなりません。

これまでに出会った人の中から一つだけ例をあげるとしたら、誰もが人物的にもよい人で、経営者としても素晴らしい人、公益活動にも協力的という先生と呼ばれる職種の方がいました。

それは間違いではなかったものの、厳しいビジネスの中で成功するには人脈なり資金なりのバックアップ(保証)が必要であって、一緒に活動をするとしたら、そこだけは確認しておかないといけないだろうと調査を依頼したら、バックについている人脈の存在が明らかになりました。

このことを公益活動で一緒に“取り巻き”も(薄っすらであっても)気づいていたものの、自らの利益のために、そこは知らなかったということにして付き合っているという本音を聞かせてくれる人もいました。

こういったことを聞かせてもらえたのも、私の調査の依頼先の“力強い”存在があったからですが、そこまでの手を使わないとわからないことがほとんどです。

そして、困ったことになって初めて知ることになる事実を、先取りしてキャッチするには、それなりの知識と人脈が必要になります。

ここをクリアしたら、次は自分がよいことをする順番であり、「よいことを先にしてから、よいことを話す」のか、それとも「よいことを先に話してからよいことする」、その両方を同時にするのかということになります。

よいことだけを話そうとしたら、よいことをする心がけと同時に、よいことを見聞きするようにしたいところですが、そのためには真逆の悪いことを見聞きすることも、場合によっては身を守るためにも必要だということです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「食べる」という言葉づかいは品位がないと考えられるのか、尊敬語の「召し上がる」を使いたがる人がいます。「召し上がる」は相手に敬意を示したい場合や、目上の人に対して使用される言葉です。

特別な世界だけに使われる表現であるならわからないでもないのですが、一般向けに情報を発信する雑誌の原稿などに「食べる」を使わずに、「召し上がる」が使われた例がありました。

食べること、食べている人に対して、敬っていることを伝えたいのかもしれませんが、食べるという日常的な行為に、敬語が使われると当たり前のこととして伝えにくくなってしまいます。

尊敬語の「召し上がる」に対する謙譲語は「いただく」です。謙譲語は尊敬語の裏返しとなる言葉で、へりくだる表現をすることで先方を立てる(高く置く)ために使われるものです。

その意味からすると、食べるように促すときに「どうぞいただいてください」と言われるのは違和感があります。単なる違和感ではなくて、気持ちの悪さまで感じる“強烈な違和感”です。

「いただく」は自分に対して使う言葉であって、相手に対して使うべきものではありません。

それにも関わらず、前に「どうぞ」、後ろに「ください」をつけて、「どうぞいただいてください」と言われてしまうと、食べてよいものか、食べないほうがよいのかわからなくなってしまいます。

その違和感は、「〜でよかったですか」という確認のために使われる言葉よりも気になってしまいます。この「よかったですか」は誤用で、正しくは「よろしいですか」か「よろしいでしょうか」です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

読み書きが苦手な学習障害児の多くは、文字を書き写すことが苦手です。書き写す漢字が示されたら、その漢字を読んで、次に漢字を記憶して、書き順に従って漢字を筆記していくことになります。

見たものを、そのままアレンジなしで書き写す、いわゆる丸写しは一般には簡単なことと認識されています。しかし、実際には見たものの形を覚えて書き写すという記号の複写のような作業をしているわけではありません。

目で見た漢字を、声を出す出さないに関わらず言葉(音声)にして、その言葉を漢字に変換して書くという作業をしています。しかも、漢字を一つひとつではなく、複数の漢字を組み合わせて、一つの言葉にして覚えて、その言葉の意味を理解して漢字を書くという高等な作業を行っています。

さらに漢字だけでなく、ひらがな、カタカナ、数字が加わり、学習が進んでいくと英文字がプラスされて、そのすべてを理解した上で書き写すことになります。これが日本語の特徴であり、複雑な記憶の経路を使って復元作業をしています。

発達障害の一つの学習障害の場合には、文字そのものが覚えられない識字障害、覚えたとしても書けない書字障害があり、短時間の記憶時間であっても変換に戸惑うことがあります。

識字障害と書字障害では、この作業が不可能ということではなくて、認知機能に問題がなければ読んで書くという書き写しを繰り返すことによって、読み書きの総合力を高めていくことも可能です。

繰り返すというと、続けて長い時間の取り組みが行われがちですが、発達障害の学習障害の場合には集中することが苦手で、長く続けるほど負担が急激に高まっていくことになるため、1日に10分以内で済む分量にして、期間をかけて書き写しに慣れていくことが大切になります。

それぞれの子どもによって認知の特性があり、引っかかりやすいところが異なっていることから、苦手な部分には時間をかける、アドバイスを丁寧にするといった心づかいも必要になってきます。

文字や文章の意味は理解できているものの、書くことに困難さがある書字障害ではパソコンやタブレットの文字変換ソフトを使用すれば対応することが可能です。

しかし、この方法は文字を書くことだけが困難な場合に使われるもので、キーボードの習熟は必要であるものの、変換ソフトを使用することによって書字の能力が高まるものではありません。

書字の困難さを支援するパソコンやタブレットのソフトとしては、見本を拡大する、一部だけ辞書機能を用いるといった方法も使われます。また、板書などが時間内に間に合わない場合には、タブレットの撮影機能を使って画像として記録して、あとで見返すことが許可される場合もあるのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「八幡浜ちゃんぽん記念日」愛媛県八幡浜市が八幡浜ちゃんぽんの普及を目的に2000年3月28日に八幡浜市と保内町が合併したことから制定。

「グリーンツーリズムの日」日本のグリーンツーリズムの発祥とされる大分県安心院町グリーンツーリズム研究会が1996年3月28日に実施したことから制定。

「三ツ矢サイダーの日」アサヒ飲料がミ(3)ツ(2)ヤ(8)の語呂合わせで制定。

「ナッツのミツヤの日」ミツヤ(福岡県福岡市)がミ(3)ツ(2)ヤ(8)の語呂合わせで制定。

毎月28日:「にわとりの日」(日本養鶏協会)、「ニワトリの日」(都道府県食肉消費者対策協議会)

良いことをすると良いことが返ってくることは、「因果応報」とも「自業自得」とも言われます。

「因果応報」も「自業自得」も、悪いことをした結果として悪いことが起こるという意味合いで使われることが多いのですが、本来は良いことによる良い結果も、悪いことによる悪い結果も「因果応報」であり、「自業自得」です。

そのような誤解を招かないように使われるのが「善因善果」です。これは仏教の因果応報の思想による言葉で、善い行いから善い果報が得られることを指しています。

善い行い(善行)というのは一般には道徳的に良い行いであって、仏の良い導き、良い利益を与えて、現在や未来に幸福をもたらす行いを示しています。“利益”は「りえき」ではなく、「りやく」と読みます。

神仏の世界で使われる「ご利益」(ごりやく)のことですが、利益(りえき)と読むと、これは儲けや得になることの意味となり、自分のためのこと一辺倒になってしまいます。

これに対して利益(りやく)と読むと、幸せや恩恵の意味になって、自分のためだけでなく、周囲の方々の幸せのために、善い行いをするという意味も含まれます。

善い行いには、外から見て良いと感じられることをすれば、それでよいということだけでなくて、気持ちの問題も重要です。お布施や寄付のように感謝をされることであっても、「恵んでやる」とか「感謝の言葉を言われたい」、「感謝状をもらいたい」ということではないはずです。

行為と気持ちがマッチしていないということですが、これが言葉で伝えるとなると、口に出したことと思っていることが一致していないというのは起こりにくいことです。

絶対に起こらないということではなくて、考えや気持ちがまとまらないために話していることが支離滅裂になる人も実際にはいます。

周囲から見て、言っていることと行動が一致しない統合失調的なことを目にすることもあるのですが、それでも言っていることが実際の気持ちと離れていても、言い続けているうちに気持ちのほうがついてきて、事実になるということもあります。

それもあるだけに、良いことを言いたい、少なくとも悪いことは言いたくないという気持ちが強まっています。過去には、私も悪いことも言ってきたのは事実です。悪いことを言う、悪い言葉を使うのは、その場では共感が得られたり、目先の結果としては良いことになることもありました。

しかし、古希が目の前に迫ってきて、これから先のことが徐々に限られてくる中で、「よいことだけを話したい」、その結果として良いことが起こる、つまり“利益(りやく)”が得られるようになりたいと真剣に考えています。

これまで悪いことを言ってきたこと、悪いことを言う人の味方をしていると思われるようなことをしてきた罪滅ぼしではなくて、自分の五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を正しく使いたい、そのためには良いことだけを話すようにして、良い結果を残したいと気持ちが高まってきています。

具体的に何をしたいのか、自分の五感の使い道については次回(日々修行211)から書かせてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

小学1年生で学ぶ漢字は文部科学省の学年別漢字配当表に掲載されています。これを見ると身近なところに出てくる漢字がほとんどであるので、生活と結びつけて覚えることが可能で、家庭内でも教えやすい漢字だということがわかります。

その小学1年生の学年別漢字配当表は以下の80字です。

「一 右 雨 円 王 音 下 火 花 貝 学 気 九 休 玉 金 空 月 犬 見 五 口 校 左 三 山 子 四 糸 字 耳 七 車 手 十 出 女 小 上 森 人 水 正 生 青 夕 石 赤 千 川 先 早 草 足 村 大 男 竹 中 虫 町 天 田 土 二 日 入 年 白 八 百 文 木 本 名 目 立 力 林 六」

小学1年生の学年別漢字配当表と比べると、小学2年生が覚える漢字は160字と2倍の量になります。分量もさることながら、その内容も身の回りにあるものというわけにはいかなくなります。小学2年生の学年別漢字配当表は以下のとおりです。

「引 羽 雲 園 遠 何 科 夏 家 歌 画 回 会 海 絵 外 角 楽 活 丸 岩 顔 汽 記 帰 弓 牛 魚 京 強 教 近 兄 形 計 元 言 原 戸 古 午 後 語 工 公 広 交 光 考 行 高 黄 合 谷 国 黒 今 才 細 作 算 止 市 矢 姉 思 紙 寺 自 時 室 社 弱 首 秋 週 春 書 少 馬 色 食 心 新 親 図 数 西 声 星 晴 切 雪 船 線 前 組 走 多 太 体 台 地 池 知 茶 昼 長 鳥 朝 直 通 弟 店 点 電 刀 冬 当 東 答 頭 同 道 読 内 南 肉 馬 売 買 麦 半 番 父 風 分 聞 米 歩 母 方 北 毎 妹 万 明 鳴 毛 門 夜 野 友 用 曜 来 里 理 話」

小学1年生では初めて漢字を学ぶことと、ひらがなとカタカナとの大きな違いから、戸惑うことも多く、そんな中でも覚えられる範囲の漢字が選ばれています。

それと比べると、小学2年生で学ぶ漢字は文字そのものを覚えることと同時に、漢字の意味を知って、他の漢字と組み合わせた言葉も覚えていく必要があります。小学1年生で学ぶ漢字だけで組み合わせて言葉を作ろうとしても、それほど多くを作ることはできません。

それに対して小学1年生と小学2年生で学ぶ漢字(合計180字)があると、かなりの言葉を作ることができます。

漢字をうまく書くことができない書字障害があっても、読むことができる(識字障害がない)ということなら、多くの書籍を読むことで漢字を組み合わせた言葉を学ぶことができます。

このことを意識して作られた子ども用の書籍が多く発行されています。そういったものを活用して文字と触れ合う機会を増やすことも大切になってきます。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

日本の現在の栄養学のエネルギー量の単位として一般に知られているのは80kcalです。これは栄養に関する書籍などだけでなく、大学教育などの教科書でも採用されていることから、日本の栄養学の基本は80kcalであると思われているところがあります。

しかし、実際には日本の栄養学は100kcalから始まっています。その歴史が知られていないために、100kcal単位を採用すると新たな手法と勘違いされることがあります。

身体に必要な栄養成分を熱量(エネルギー量)で考えることを初めに提唱したのは東京陸軍病院の軍医であり、医学博士であった森林太郎でした。森林太郎は明治の文豪の森鴎外の本名です。

森林太郎は明治17年(1884年)は22歳のときに明治21年までドイツに留学しましたが、そこで軍隊の食事について学び、帰国後に陸軍軍医学校・大学校教官となりました。

そして、「人間の栄養学では食事は熱量を第一とする」と、日本の軍隊の食事について熱量によって考えるように提案しています。

森林太郎は明治22年(1889年)に、携帯食糧について論文で報告しています。携帯食糧は陸軍が行軍のときに摂る食事で、仕事の内容によって必要とする熱量が異なることから、食事を1包装ずつ同じ熱量として、各部隊に合った熱量の食事を与えました。

これはドイツで学んできたことで、その熱量として報告論文では「1包装=100kcal」が取り上げられていました。

熱量はたんぱく質、脂質、炭水化物のエネルギーの和(合計)と等しいことを紹介して、熱量から栄養成分を考える方法が100kcalを単位として始まったのです。これによって、摂取した個数によって誰もが簡単に摂取する熱量が把握できる「目で見る栄養学」が日本で初めて実践されました。

この発想を引き継いで、わかりやすく、実践しやすいエネルギー摂取法として普及されているのが、「100kcal栄養学」です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「さくらの日」日本さくらの会が、さ(3)く(9)の語呂合わせと3×9=27から制定。

毎月27日:「ツナの日」

学びの伴歩について書き進めていく前に、実際の伴歩(ばんぽ)について触れておくことにします。

視覚障害があるランナーの横を一緒に走るのは伴走で、進行方向や路面状況を伝え、距離や安全情報を伝える、障害物を避けるというように伴走者はランナーの目になって周囲を説明しています。

伴走者が役割を果たすことによって安心して走ることができるわけですが、伴走が横を走り、伴走ロープによって誘導するには、それなりの走る能力と経験が必要です。優秀なランナーなら、誰もが優れた伴走者になれるわけではありません。

それに比べると、ウォーキングの伴歩は楽なように思われがちですが、視覚障害がある人をリードして歩くことには、かなりの歩く知識と経験が期待されます。

それがウォーキングのイベントにように多くの人が同じ道を歩いている、それも自由に歩いているとなると、視覚障害がある人が歩いていることも気づかれないということは普通に起こります。

これは視覚障害だけでなく、その他の身体の障害、場合によっては発達障害の特性だけでも通常の歩行が、それこそ障害となることがあります。
マラソンなどのように走るルールが確立されていれば、身体の障害があっても走ることに“障害”を感じることなく参加することはできます。

ところが、歩くことでは他の歩いている人の障害に気づかないことが、その方の“障害”になっていることがわからないことが多いだけに、歩くという普通に思われることも障害を強めることになってしまいます。

このことについては、徐々に触れていくことにしますが、歩くことも学ぶことも“当たり前”と感じていることが実は当たり前ではなくて、困難さを抱えていることは、実際に伴歩をしてみないと気づきにくいことかもしれません。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

雪を逆手に取って収益を得ようとすることについて前回(日々修行208)書きましたが、その最たる例の一つを知ったのは、大学生として上京したばかりの時期でした。

地元選出の国会議員が総理大臣となり、高校(新潟県柏崎市)の同級生の父親が、その後援会のメンバーだったことから、東京の私邸(文京区目白台)に案内することになり、そのときに雪をお金に変えた話を聞きました。

豪雪地帯は雪が大事な資源で、春になって雪が溶けると、これは水田の豊富な水として活用されます。その水で作られるのが魚沼産コシヒカリです。

山から徐々に溶け出してくる水は、水力発電所で継続的に使われます。そのために豪雪地帯では最も降雪量が多い山奥にダムが作られますが、豪雪であっても水力発電所には常に行き来できるように道が通れるようにしておく必要があります。

その道に降り積もった雪は、下に落とせば簡単に処理できるものの、それでは発電所の放水の流れを妨げるということで、山奥の道に積もった雪は海岸まで運んで捨てることになります。

雪が降ると仕事が途絶える建設業、運送業などにとっては、本業のトラックは雪の処理に使われるので、雪は仕事を継続させる恵みにもなっています。

雪を運んで処理して戻ってくると、また積もっていて、常に山と海との往復を繰り返しているようなことが雪のシーズンには続きます。

どれくらいの雪を処理したのかは、春になると溶けてなくなるので知ることはできません。そのために本来なら下に落としてはいけない分を、海に運んだことにして稼ぐ会社があっても、これも確かめることはできません。

これが雪をお金に変えた一つの例で、それが地元で土建業をやっていた政治家の収益になったかどうかということは、ここでは書かないことにします。

雪は自然がもたらす恵みであって、そのエネルギー量は計り知れません。雪が降らなくなった季節に、雪の保冷効果を活用できたら、冷やすための膨大なエネルギーが節減できることになります。

今では雪室(ゆきむろ)は、雪を長期間蓄えて、温度を低く保つようにした冷蔵施設として広まっていますが、その手法を農業分野に広めたのは、私が6歳から3年間暮らした豪雪地帯のお隣さんの長男でした。年齢としては私よりも5歳ほど上の方です。

もう一つの例は、年間を通じて冷やすための膨大な電気が必要な施設での活用で、それはデータセンターの冷却です。企業などのデータを大量に保存、管理、処理するための施設だけに、電気代が大きなコストを占めています。

データセンターの電気代は運用コストの20%と言われた時代がありますが、電気料金の高騰で40%を超えるような状況にもなっています。その多くは冷却のためのコストで、最大で45%にもなっていると環境省が報告しています。

その冷却に雪室を活用しているところが増えています。私が知っているデータセンターの多くが、雪が多く降るところに設置されているのは、雪の有効活用も考えてのことです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕