「地球と水を考える日」国際デーの「世界水の日」は3月22日で、日本では8月1日が「水の日」であることから水にちなんで制定。
毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)
「地球と水を考える日」国際デーの「世界水の日」は3月22日で、日本では8月1日が「水の日」であることから水にちなんで制定。
毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)
しばらく会っていない人の姿をテレビの中で見つけることは、最近では、そうはなかったのですが、テレビ業界の不祥事のためにACジャパン(公共広告機構)の広告が急増したことで、2人の活躍を見ることになりました。
1人は中高年男性4人組ユニットの「おじキュン!」の黄色の腹巻きで踊る方で、「動けば町が元気になる」のテーマで、岡山県和気町の魅力を伝える活動の公共広告です。岡山に移住した初期段階で世話になった方です。
もう1人は「決めつけ刑事(デカ)」の嶋田久作さんで、東洋大学の出身の俳優さんです。
同じ年齢で、私は法学部で学びながら教授のお情けでインド哲学の授業を受けさせてもらっていました。嶋田さんは文学部哲学科の正真正銘の学生で、当時から目立つ風貌で、学生の劇団にも所属していました。
衝撃の再会をしたのは(といっても当時は映画のテレビコマーシャルを見ただけ)、1988年の「帝都物語」の魔人の俳優でした。
嶋田久作という名前には馴染みがなくて、初めは「世の中には、よく似た人がいるものだな」との感覚でした。嶋田さんの名前は、哲学科で学ぶ哲夫さんとの記憶がありました。
私の知人にも同じ年齢の嶋田さんがいたので、名字も名前も記憶に残っていたのですが、俳優は本名でなく芸名を使うのは普通のことで、“決めつけ”をしてはいけないということを再確認しました。
ACジャパンの「決めつけ刑事」は、誰が発信したかもわからない不確かな情報でも、時に拡散によって、あたかも信憑性のある情報かのように擬態して、結果として何の罪のない人を傷つけてしまうということに警鐘を鳴らしています。
素性のわからない人の発言をSNS上では多くの人が額面通りに信じてしまっているという事実を、強面の嶋田久作さんの演技で伝えています。
決めつけや思い込みは間違いの元ということは、何もSNSに限ったことではなくて、テレビ報道が始まった時から言われてきたことであり、そのようなことも実際に繰り返し起こっています。
SNSやネット情報は、もっと間違いの元が多い世界ですが、その情報からテレビ報道や雑誌の記事が作られていくことも普通に起こっています。
従来であれば新聞報道を元にして、それを雑誌記事が膨らませ、それをテレビ報道が一般受けするように伝えていくという流れがありました。SNSやインターネットの普及で、テレビ報道に個人の意見や感情を交えて伝えていくように変化していきました。
ところが、テレビ報道でもSNSの発言をインタビューをしたかのように使うことが増えてきて、遂にはSNSで伝えられたことがテレビ報道に影響を与えることも起こっています。
こうなると情報の裏取りをするのは、面倒であり、厄介なことでもあって、裏取りなどしたくないところですが、私がテレビ番組や食品(納豆、豆腐、豆乳など)の全国広報に携わっていたときには、裏取りが役割でした。
取材先や監修者の専門家の先生が、実はあやふやな情報、他の方が言っているので事実であろうという感じで、困った発言をすることは、いくらでもありました。監修を受けていることをチェックする“監修の監修”が仕事だったこともあります。
今の時代に、それを求められても裏取りが困難な状況だけに、そんな業界から離れて、岡山でひっそりと暮らしていることに安心しているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
学んだことは脳の中に蓄積されると一般に言われていますが、頭に詰め込むように勉強をすれば脳に蓄積されるわけではありません。頭を使って覚えたことは、起きている間は脳の中の入ったことが整理されているわけではなくて、机の上に散らばったまま乗せられているような状態になっています。
記憶するのは大脳の細胞で、脳が入力された情報を受け取る「記銘」、それを保つ「保持」、必要に応じて呼び出す「想起」の3ステップで行われています。記銘によって雑然とした記憶の要素が、机の引き出しに収められ、新たに記憶する情報が入ってきたときには引き出しから出して、更新して再び引き出しに入れて整理します。
この出し入れの作業をしているのは睡眠中です。睡眠は浅い眠りのレム睡眠と深い眠りのノンレム睡眠に分かれます。レム睡眠のレム(REM)はrapid eye movementの略で、眼球が動いていることを指しています。
眠りが浅いときには目を閉じていても眼球が激しく動いています。これに対してノンレム睡眠のノンレム(non-REM)はnon- rapid eye movementの略で、眼球が動かずに、ぐっすりと眠った状態です。
レム睡眠は骨格筋が急速状態であるものの脳が活動している覚醒状態で、夢を見ているのはレム睡眠のときです。目覚める寸前まで眠りが浅くなったレム睡眠では、意識があるのに身体が動かないという金縛りの状態になることもあります。
記憶の出し入れをしているのはレム睡眠のときですが、睡眠が浅い、深いというリズムは90分周期とされています。寝ついたときにはレム睡眠が10〜30分続いて、その後にノンレム睡眠が60〜80分となっていて、この周期を4回繰り返すと6時間となります。これ以上の睡眠ではレム睡眠の浅い眠りの状態が続きます。
記憶の出し入れが効果的に行われるのはノンレム睡眠のあとのレム睡眠のときですが、ノンレム睡眠が深い状態、つまり熟睡した後のレム睡眠でしっかりと記憶されていきます。“寝る子は育つ”という言葉がありますが、これは身体だけでなく脳の成長も指しているということです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕
相続は、これまでに積み上げてきた財産や権利を引き継ぐことで、スムーズに受け継がれることで積み上げてきた人の意思が後まで伝えられていくものです。
相続は何も金額で表されるものだけではないのですが、これが争いの元になるのは大抵が金銭によるものです。
相続に絡んで家族が争うことから“争族”と言い換えられることがあり、また家族の金が絡んだ争いは簡単には解決しないことが多いことから“争続”と言われることもあります。
単純に遺書に従って分配をするなら遺恨を残さなかったのに、手続きを誤ったために困った事態に追い込まれた人もいました。その手続きについて、周囲の人が何も言ってくれなかったことが、金額面で解決しても、別の遺恨を延々に残すことになった例もあります。
亡くなった人の預金(ゆうちょ銀行の場合は貯金)で遺族が使うことができるのは、原則的に葬儀代だけです。
以前は、亡くなった人の預金を遺族が引き出しても問題とされない時代もあったのですが、これが“争続”の原因にもなるということで、一時期は亡くなった人の預金は引き出せなくなりました。そのために葬儀代が支払えるかどうかは集まった香典の額にかかっているということもありました。
今では葬儀代に使うことができるようになり、葬儀の支払いに困ることは少なくなりましたが、葬儀代以上に引き出した金額が、後の“争続”の原因になった例もあります。
というのは、預金から引き出した金額のうち、葬儀代で支払った金額以外は相続税の対象になることを知らなかったことが大きく関係しています。
この続きの話は次回(業苦楽13)で書かせてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
識字障害には、文字が読めない、読めても理解するために時間がかかるというものから、視覚情報処理の異常のために書かれている文字を、そのままの形で見ることができないこともあります。
そのために、見えるようにするために正面からではなく斜め方向から見るようにする、教科書やテキストを手にして別の角度から見ようとすることもみられます。
これに加えて、眼球が上手に動かせないことによって識字に障害が現れる場合もあります。学習障害児の特性の一つに、文字を読むときに頭を動かすことがあります。目を動かしていないわけではなくて、広い範囲の文字を読むために眼球を動かす範囲が狭いために、頭を左右に振って見るようになってしまいます。
そのために目から入ってくる画像が安定せずに、目から入ってきた情報を全体的に捉えにくくなることがあります。このことが識字の困難さを増加させることにもなっています。
学習障害がある子どもの中には、視力に特に問題がなく、見え方に問題がないようにみられても、実際にはよく見えていないことが起こっています。
就学前ではよく見えていないと、絵が描けない、積み木で形が作れない、パズルが苦手ということが起こり、就学後には文字が覚えられない、書けない、鏡文字になる、算数の図形問題ができないということにつながっていきます。
見る力が充分でないと、見るために使うエネルギーが多く必要となり、疲れやすく、目で文字や画像を捉えていても、はっきりと見ていないようなことが起こります。そのために、見て、読んでいるようでも記憶に残りにくく、結局は勉強をした割にはよく覚えていないという結果にもつながりかねません。
ものを見るときには、初めに共同性眼球運動(左右の目を同方向に動かす視線運動)の機能によって、両目の視線を目標とするものに移動させています。それと同時に、両眼視と調整の能力を使って、焦点を合わせて見ることになります。
眼球から入ってきた画像情報を映し出す網膜には、視力が極めてよい中心窩があり、この中心窩のカバー範囲は1.6度と狭い範囲となっています。この部分から少しでもズレがあると視力は大きく低下します。
そこで眼球を動かして中心窩で目標物を捉えるようにします。そのための能力が共同性眼球運動であり、それがうまくできないと眼球だけではなく、頭を動かして見るようになっていきます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「はじめようの日」大丸松坂屋百貨店が何かを新しく始める人を応援しようとカウントダウンの3、2、1に合わせて制定。
「日南一本釣りかつおの日」日南かつお一本釣り漁業保全推進協議会(宮崎県日南市)が初かつおの水揚げ最盛期の3月、に(2)ちなん、一(1)本釣りかつおの語呂合わせで制定。
「アジフライの日」角屋食品(鳥取県境港市)がアジは鯵(魚偏に参)から3月、フ(2)ライ(1)の語呂合わせで制定。
毎月21日:「木挽BLUEの日」(雲海酒造)、「漬物の日」(全日本漬物協同組合連合会)
日本人の健康的な食生活を支えているのは、米飯を中心とした食事のおかげであり、炊いたご飯があれば何でも食べることができる、ということを健康に関するセミナーなどで話をさせてもらっています。
ご飯の重要性の話は、以前であれば比較的、楽な気持ちですることができていたのですが、ご飯の話をするときには聞いている方の反応を探りながらになっています。
日本人の食品の基幹となる米が豊作の翌年であるにも関わらず大きく不足して、価格が高騰している中で、ご飯を食べることが推奨しにくくなっているからです。
しかも話をさせてもらっている相手が、生活が裕福とは言えない方が多く、米を買うことも躊躇する、うどんのように安いものを主食にするしかないという状況を知っていると、伝えたくても伝えられなくて、充分な話ができなかったという思いを引きずっています。
まさか短期間のうちに米価が2倍にも跳ね上がるとは想像もしていなかったことですが、米が高い食べ物であったのは、今に限ったことではありません。
過去には「貧乏人は麦を食え」と言われた時代があり、1950年に当時の大蔵大臣であった池田勇人が言ったと伝えられています。実際は、このような発言はしていません。
緊縮財政の不況の中、米価が高騰している状況について、参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方は米を食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁しました。
これを取り上げた新聞記事に、「貧乏人は麦を食え」との題名がつけられて、まるで大蔵大臣の発言のように広まっていきました。
その時代には私は、まだ生まれてはいなかったのですが、昭和30年代半ばに小学1年生から3年生まで暮らした山奥の村では“米を腹一杯食べる”のは希望をしてもかなえられない家が多くありました。そのほとんどは農家でした。
まさに「麦を食え」が当たり前の地域で、昭和38年の“三八豪雪”では小学生が電線の下を潜って学校に通うのが当たり前の景色でした。三八豪雪はあまりに有名で、ネット検索で、すぐに出てきます。
この豪雪が春になると溶けて豊富な水となり、よい米が育つ重要な要素の一つとなっていました。雪が溶けると水になるのではなくて、「雪が溶けると春になる」を、肌で感じるような村でした。
昭和初期までは、全国的に農家は米を作っていても売るものであって食べるものではないという状況でした。
麦、稗(ひえ)、粟(あわ)などに野菜を混ぜて食べていたということ、口に入れることができる米は屑米(くずまい)だけということを歴史の教科書で知った知人がいる中、私の同級生の家の中には、そのような生活が昭和30年代半ばまで続いていました。
「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのは昭和31年(1956年)のことですが、今のように麦、稗、粟は健康によい雑穀と認識されて、スーパーフードともてはやされる時代が来ることは想像もできないことでした。
高度経済成長が続き、もう貧乏人も金持ちも主食に関しては大きな違いがなくなった2020年に経済界の大家が「貧乏人は米を食え」というコラムを書いています。
輸入の麦が高値になり、それと比較して米が安いということでしたが、それが円安で輸入される麦は高いもの、米は高いものとなり、野菜も高級食材になってしまいました。
米国(アメリカのことではなくて米を多く生産する国内の地方)でも、「貧乏人は米を食え」とは言えないほど高くなっています。このような愚痴のようなことを書くことなく、安心して米飯の健康効果について語ることができる時期がくることを願うしかないようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
算数障害は算数問題を解くことに困難があることを指します。計算障害とも呼ばれ、数量のイメージができなかったり、数量のイメージと数字を一致させることがうまくいかないことがあります。そのために、加減乗除(+−×÷)の操作(計算)がうまくいかなくなります。
計算のほかに図形や空間の認知、数学的推論などでも困難をきたすことがあります。全体的な知能には大きな遅れはないものの、他の教科に比べて不自然に習得が遅れる状態があります。
計算をするときに一般的には「いち、にい、さん」と聞くと、数字の「1、2、3」を思い浮かべ、「●、●●、●●●」と数量を思い浮かべています。この連動がうまくできないと計算が苦手となり、日常生活にも影響を与えるようになります。
以下は、算数障害でよくみられることを列挙したものです。このうちの、いくつが該当すれば算数障害ということではなく、一つであっても学習に影響を与えている場合には算数障害と指摘されることがあります。
*数の概念が身につかず、数系列の規則性などの習得が難しい
*計算を習得することが難しい
*指を使わなければ簡単な計算ができない
*繰り上がりや繰り下がりが正しくできない
*九九を覚えにくい
*九九を暗記できても応用して掛け算をすることができない
*掛け算ができても割り算ができない
*物差しや計量器で計測した目盛りを読むのが苦手
*図形の認知や構成ができないことがあり、正しく書き写すことができない
*文章題を解くのが難しい
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕
昭和30年(1955年)の平均寿命は男性が63.60歳、女性が67.75歳でした。現状と比較すると随分と短命であると考えられていました。
平均寿命は、その年に生まれた人(0歳児)が、社会状況、経済状況などの環境が継続していると推定した場合に、何歳まで生きることができるかという予測数値で、これは平均余命と呼ばれています。
令和5年簡易生命表によると、0歳の平均余命は男性が81.09年、女性が87.14年となっています。これは短命のうちに亡くなる人も含めての平均であって、一定の年齢まで生きてきた(高齢者で言えば“生き延びてきた”)人は、平均よりも健康・丈夫であるということで、年齢を重ねるほど平均余命は長くなっていきます。
ここでは70歳の人の平均余命を例に出しますが、それは私が昭和30年生まれで、70歳になる年という単純な理由からです。平均余命は5歳ごとに90歳まで推計値が出されているので、それぞれの年齢に合わせて平均余命を出して、何歳まで生きることができるのかという計算をすることができます。
令和5年簡易生命表では70歳の人の平均余命は男性が15.65年となっているので、これを加えると85.65歳となります。女性の場合は19.96年であるので、89.96歳となります。
昭和30年の平均寿命は男性が63.60歳、女性が67.75歳であったので、男性は22.05年、女性は22.21年も長生きになっている計算となります。
このようなことを書いたのは、その半分でも次世代のために役立ててもらえないか、役立てることができるように健康に気づかって生活してもらえないか、ということが言いたかったからです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
食品に含まれる栄養成分を評価する方法として、食品の重量から考える方法と熱量(エネルギー量)から考える方法があります。この二つの評価法を各食品について現した食品成分表も、食品の可食部100gに含まれる栄養成分を評価したものと、一定の熱量を単位として、その中に含まれる栄養成分を評価したものとがあります。
生活習慣病の予防を目的にした栄養指導では、摂取する食事量は熱量(エネルギー量)によって示され、その単位となった熱量の中に含まれている三大栄養素(たんぱく質、脂質、炭水化物)のエネルギー量(PFCエネルギー)を考える形式となっています。
栄養関連の書籍では、食品の目安量を「80kcal」としている例を多く見ます。80kcalを主流としているところが多いのですが、80kcal単位の表示は計算しにくく、これが食事療法やダイエットなどの理解を難しくして、実践が進みにくい一つの要因となっています。
それに対してわかりやすい方法として100kcal単位の表示も存在しています。これは単に80kcalの倍数が計算しにくいからキリのよい100kcalを採用しているというわけではありません。
80kcal単位の目安量の表示を、わかりやすい100kcal単位にするというと、新しい考え方を提案しているような感じがあるかもしれません。
しかし、実際には100kcal単位は日本の栄養学の基本とされてきたもので、歴史を振り返ってみると100kcal単位の評価によって栄養指導が実施されてきた事実があります。
食品でエネルギー源となるのは、たんぱく質、脂質、糖質(炭水化物)だけで、この他のもの(ビタミン、ミネラル、食物繊維)にはエネルギーが含まれていません。そのため、たんぱく質、脂質、糖質は、三大エネルギー源もしくは三大栄養素と呼ばれています。
エネルギー源は種類によってエネルギー量が異なっていて、1gあたりでは、たんぱく質が約4kcal、脂質が約9kcal、糖質が約4kcalとなっています。
このことがわかると、重量からエネルギー量を把握することができるようになります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕