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痛みvs.傷み

テレビ番組のテロップは耳で聞くだけではわかりにくい言葉や用語を確認するためには有効なものですが、同音意義語が変換ミス、変換する人の勘違いや知識不足のために表示されることがあります。そのために見ている人の知識によっては、勘違いや間違いが起こることにもなります。 テレビのテロップで見かけるだけでなく、ネット情報、雑誌や新聞のように校閲がしっかりとしているところであっても、間違いになりかねない同音


一生懸命と一所懸命

「一所懸命」と原稿に書いたら、校正の段階で「一生懸命」に直されるのが常です。テレビ番組では、「一所懸命」と発言した人がいたら、テロップには「一生懸命」と表示されます。ネット検索で「一所懸命」と引いたら「一生懸命」の間違いでないかと表示されることもあります。 どちらが正しいのかというと、「両方とも正しい」「どちらも物事を命がけでやる」という回答がほとんどです。元々の言葉は「一所懸命」で、その意


12月19日の記念日

19は語呂合わせをしやすい数字で、毎月19日には複数の記念日が設けられています。12月19日は19日と冬の時期を組み合わせて、一地域の記念日が制定されています。 「信州・まつもと鍋の日」おいしい信州ふーど・信州まつもと鍋開発プロジェクトチーム(長野県松本市、松本大学、JA松本ハイランド、JA松本市)が温かい鍋がおいしい冬の12月、1月、2月で、食の語呂に合わせて19日を制定。 毎月19


メディカル×ダイエット7 アジア人の中でも日本人は違う

日本人は人種的にはアジア人で、東アジアの中国や韓国、モンゴルなどの人とは顔形が似ているところから機能的にも体質的にも同じように考えられがちですが、大きく違っているところがあります。日本人以外は北方系で、寒さに対応するためにエネルギー代謝が盛んになっています。 北方系の人は寒い中で、肉食を続けてきたことから、脂肪を効果的にエネルギー化する能力が高く、多くのエネルギーを使って体温も高くなっていま


12月18日の記念日

今日も発売日を記念日にした例、一時は“お菓子のホームラン王”と呼ばれた有名なお菓子でした。 「ナボナの日」亀屋万年堂が和菓子のナボナの発売日の1938年12月18日にちなんで制定。 毎月18日:「防犯の日」(セコム)、「おにぎりの日」(中能登町)


健康デザイン48 健康づくりは単純にはいかない

健康づくりのために実践することが一つだけであったら、悩まずに実施して、継続も簡単かもしれませんが、それだけで済むことはほとんどありません。生活習慣病の予防について食品の一つだけを増やす、もしくは減らすだけでよいなら誰でもできそうですが、生活習慣病は代表的なものでも高血圧症、糖尿病、高中性脂肪血症、高LDLコレステロール血症があげられ、それぞれ食事の対応が異なっています。 それぞれの主な原因と


健康リテラシー14 臨床栄養での恩人との研究1

健康のための食事の基本は栄養素の質と量が確保されていることです。それは臨床栄養の世界では絶対的な条件で、患者によっては医師の指示(約束食事箋)に従ってグラム単位で食品の量を調整することも行われます。 栄養素が足りていて、食事としても成り立っていれば、それでよいのかというと、そのようなことはありません。私の臨床栄養の師匠である山本辰芳先生(管理栄養士)は「文化性のない食事はエサである」という標


12月17日の記念日

初めて発売された日を記念日とするのはよくあることで、その一つの例を紹介しています。 「明治ブルガリアヨーグルトの日」明治がブルガリアヨーグルトの発売日の1973年12月17日にちなんで制定。 毎月17日:「減塩の日」(日本高血圧学会)、「いなりの日」(みすずコーポレーション)、「国産なす消費拡大の日」(冬春なす主産県協議会)


治検16 講習との連携

検定は一定の基準に照らして審査をして、合格・不合格を決定するものです。検定の中でも知識に関わるものは、一定の知識や判断力の有無を調べるもので、その多くは試験問題によって判定が行われています。 治検(治療用語検定)も検定の一つで、治療と、その前提となる検査の理解度を専門用語を通じて確認するもので、実際に実施されるのは試験問題です。自分の理解度を知るだけであったら、試験を受けて、その結果(点数)


エネルギー代謝102 日本人は筋肉が増えにくい体質なのか

アメリカで開発された簡単にできるフィットネスが、日本に初登場したときにはアメリカの結果を示して、同じような結果が得られるといったイメージで拡散されていきました。 同じ方法を、同じ時間だけ行えば、同じ結果が出るというのは普通に想像されることであり、同じ結果が出なかったら、その理由が検討されます。指示されたとおりの方法を行っていなかったのではないか、実施する時間が短かったのではないか、といったと