どこが日本の中心か

日本の中心は、どこなのか、という話題は、いつの時代にも求められ、そのときの答えが、なぜか長続きしません。中心といっても、何を基準にするのかによって、もちろん変わってきます。本土の最北端の宗谷岬と最南端の佐多岬から同じ距離ということで、佐野ラーメンで有名な栃木県佐野市は日本の中心をうたっています。同じ距離ということでは、どこに線を引くかで変わってきますが、水沢うどんで有名な群馬県渋川市は日本のへそを主張していて、その根拠は宗谷岬と佐多岬を直線で結んだ中央に位置するからというものです。
宗谷岬と佐多岬を円の端にして描いたときの中心に当たるのが、ほうとうで有名な山梨県韮崎市で、こちらは日本列島の中心地と称しています。日本列島の本土の地図の重心を中心とする方法もあって、これに当たるのは能登牛で有名な石川県珠洲市です。日本列島の地図は正確には島まで含まれます。北端を日本が主張している択捉島とするのか施政下の稚内市の弁天島とするかによって変わってきますが、択捉島から最南端の島は沖ノ鳥島までの中心地の播州ラーメンで有名な兵庫県西脇市は統計135度と北緯35度の交差点であることもあって、日本のへそと位置づけて、日本のへそ公園も設置しています。
兵庫県には時間の中心となる標準子午線が通っていて、これは明石焼きで有名な兵庫県明石市にあります。人口中心という考え方もあって、日本の人口分布の中心を探しています。年によって変わるどころか日々変化しているのですが、明宝ハムで有名な岐阜県郡上市は1995年の国政調査で人口中心となったことから日本まん中センターを設けています。
日本の中には奈良時代の坂上田村麻呂が定めた“日本中央”という場所があり、これは大和シジミで有名な青森県東北町にあります。政治と行政の中心といえば東京都千代田区の永田町と霞が関、道路の中心といえば東京都中央区の日本橋ということになります。見方を変えて、神社の中心といえば伊勢神宮となりそうですが、大国主命を崇敬する人にとっては出雲大社となります。
この文章で何を言いたいのかというと、基準によって答えが違ってくるということで、健康問題を扱うときにも何を基準にして結論を出したことなのかを確認しておきたい、ということを述べたかったからです。