ポストコロナ「沈黙は損なり」1

「黙っていたら損」だというのは、何も特定の地域の人だけのことではなくて、思ったことを言わなければ損をする、だから言えるときには言ったほうがいい、というのが普通の感覚かもしれません。今のコロナ禍では、少しでも稼ぐチャンスがあるならば先に手を出す、先に口を出すというくらいでないと勝ち残れないというのもわからないではない感覚です。そんな感覚の人に、今回のテーマの「沈黙は損なり」は当たり前すぎる言葉と感じられるはずです。
今のような風潮のときに「沈黙は金なり」などと言ったら、何を消極的なことを言っているのかと叱られそうですが、ここで確認しておきたいのは沈黙が評価されるのは“金”(きん)であって、“金”(かね)ではありません。
「沈黙は金なり」の意味は、沈黙は金にたとえられるほどの価値があるという意味で、あれこれと喋るよりも黙っていたほうがよいことがあるといったシーンで使われています。
では、本当に雄弁に語ることはいけないことなのかというと、その答えは「雄弁は銀、沈黙は金」という格言の中に隠れています。イギリスの評論家のトーマス・カーライルが著書で「Speech is silver,silence is golden」という言葉を使っています。これが日本語に訳されたときに、「雄弁は銀、沈黙は金」が初めて紹介されました。これを見ると評価されるのは沈黙だけでなく、雄弁も銀、つまり金に次ぐ価値があるということがわかります。
雄弁に語ることも大事だが、沈黙するときを知っていることも大事ということで、ただ黙っていればよいということではないのです。雄弁と沈黙のタイミングの見極めが重要で、黙っていたら損とばかりに雄弁なればよいというわけではないということを指し示しています。
コロナ後の活動を考えるときに、どのタイミングで沈黙を保ち、どのタイミングなら「沈黙は損なり」と行動を起こすのかということについては、次回に続きます。