越後人は濃い味付け好きと思われていた

新潟県民のイメージというと、今ではテレビ番組の秘密のケンミンSHOWのおかげもあって変わってきましたが、私が大学のために上京したときには、真面目で我慢強くてという通り一遍のことと同時に、“しょっぱいものを食べている”というのが定番の評価でした。母の実家がお寺で、父の実家が米屋だったせいなのか、それとも両親ともに後に健康オタクと評されるほどの意識の持ち主だったせいか、県内にあっては薄味を好んでいました。
昆布文化の富山県が隣接県だったので、昆布出汁(だし)が使われていたこともあり、今にして思うと濃さは違うものの関西の味付けに近かったようにも思います。
父親の家系が糖尿病系で、母親の家系が高血圧系で、その子どもは両方が出る可能性が高いとされていた時代だったので、殊更注意をしていたと後になって母から聞いたことがあります。
東京は新潟に比べたら味が薄いと言われて上京したものの、思ったよりも濃い味で、しかも喫茶店も食堂もテーブルに自分で味を調整する調味料として食塩が置かれていたのには驚きました。今のように減塩が叫ばれる時代ではなかったという証拠の一つです。
食卓塩の話を東京出身の同学年にしたとき、「東京は新潟に比べれば薄味だから、新潟や東北の人が店に来たときには物足りないこともあるから食卓に塩を置いてある」と言われたことを今でも覚えています。
そんな話を聞いた翌日にサークルの先輩と喫茶店でランチをしたのですが、味見をしないでピラフに、いきなり塩を振りかけていました。そのときだけでなく、いつも味見なしでかけているので、聞いてみたら、家族そろって外での食事は塩が足りないという返事。味覚というのは家庭の食事が左右するのかと感じて、これら味覚のことを学ぶきっかけにもなっています。
子どもの頃には薄味が基本で、食卓で塩はかけていなかったのですが、なぜか味の素が置いてありました。家庭によってはハイミーのところもありましたが、当時は化学調味料(今のうま味調味料)が子どもの頭をよくするというので、いろいろな料理にかけて食べさせる親が多くいたものです。実際のところ、化学調味料の成分が脳を興奮状態にさせるという研究成果が発表され、中途半端な情報が広まることの怖さを感じた瞬間でした。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)