2023/4/19 親元を離れたきっかけは松之山事件

3歳のときから小学校に入る前の期間、親元を離れて母の実家の寺で暮らしていたことは前に書きました。その寺があったのは新潟県出雲崎町で、良寛和尚の生まれ在所ということで、移住先の岡山との結びつきを感じているところです。

そのことを前に書いたときに、倫理のメンバーから、なぜ親元を離れることになったのか聞かれて、父が山奥の駐在所勤務で、母も仕事があったときに、弟が生まれて子ども2人を育てるのが大変だったから、ということを公式見解的に言っています。

倫理のメンバーになって、自分の今あるのは過去の積み重ねという考えから、自分の“三つ子の魂”を作ることになった生活環境を振り返り、実際のところを書き残すことにしました。

私が生まれたのは母の実家でしたが、時期を置かずに父の勤務地の松之山温泉(県南の山奥)に行きました。私が2歳のときに、警察の事件としてはあまりにも有名な松之山事件が起こりました。松之山は、坂口安吾の推理小説「不連続殺人事件」の舞台となったところです。

松之山温泉から、さらに奥に進んだ駐在所の新人巡査が住民3人を射殺する事件が起こりました。これをきっかけに、新人、独身者は駐在所に勤務させないことになったといいます。

父は現場に最も近いところにいたことから、その駐在所に向かったところ、すでに巡査は自殺していました。その時代の警察の最大の不祥事ということで、後任配置について相当に検討されたということでしたが、父が現場地域も知っていることから、その事件現場の駐在所に家族で転勤することになりました。

警察官が通るだけで子どもは泣き出す、住民も避けるようになっている中での勤務と子育ては大変だったということで、私は母の実家に預けられることになりました。子ども心にも親元を離れることは寂しいと言えるような雰囲気ではありませんでした。

小学校からは親元に戻り、父の別の転勤先の山奥の村で3年間、その後は都市部に1年間、農村部に3年間、再び都市部に3年間と転校を繰り返しました。高校は父の出身校に親戚の家から通い、大学で上京してから岡山移住まで44年間、東京暮らしをしていました。

転校のたび、移動のたびに友人・知人と離れ、今もLINE仲間として連絡を取り合っているのは大学時代のサークル(合唱団)の仲間だけです。東京にいたときは仕事仲間はいても友人という関係ではなく、飲食の付き合いも避けてきました。

岡山に移住して、移住のきっかけを作った人との断絶はあったものの、発達障害児支援を通じて友人関係として付き合える人との出会いがあり、倫理のメンバーにもなって、レベル68(100歳現役を目指しているので)の今、やっと安心して付き合える人との交流ができるようになりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕