「全然」は否定形、「断然」は肯定形と学校で習いました。全然合っていない、断然合っている、全然理解できない、断然理解できるという感じです。小学生のときなので50年も前のことで、そのときから使い分けてきました。
しかし、今の国語の先生は古典を引き合いに出して、「古い時代には全然は肯定形にも否定形にも使っていた」と解説しています。テレビ番組でも、そのコメントを発しています。これは教養番組風バラエティ番組でのことですが、大昔に使われていたから間違いではないという説明には違和感を覚えます。
大昔は両方の意味で使われていたとしても、長い時代を経て別々の意味で使われていて、これが定着していたのに、今は混同して使われていることが、ずっと以前に使われていたから、そのほうが正しいという意見は、本当に正しいのかということです。
全文が示されていれば「全然」という言葉が使われて、テレビのテロップに流れても、これは肯定の意味なのだな、否定の意味だなと読み解くことはできます。ところが、質問に対して「全然」と返答するとなると、これは肯定なのか否定なのか判断ができません。それと同じ使い方を日常会話でしている人も多く、判断できないままスルーしてしまうと間違った判断をしかねません。全然と言ったので断られたと思っていたら、逆だったということが起こります。
「全然」と肯定にも否定にも使っている人たちなら、聞く側に回ったときにもうまく聞き分けることができるのでしょう。だから、安心して普通に使っているのだと思うのですが、全然と断然を区別して使い、全然の肯定的な使い方に違和感を感じる世代には、どちらの意味なのか“全然区別がつかない”と困ってしまいます。
そこのところを意識して、私たちの世代に対して「全然」を使うときには前後の言葉を明らかにして、肯定か否定かがわかるように使ってほしいと願っています。これが認識ギャップを感じている者の感覚です。