心身ともに成長期する時期に、高度経済成長が重なっていた昭和30年代、昭和40年代に生まれた人は、駄菓子から高級なお菓子まで、さまざまなものを食べてきた世代です。日本メディカルダイエット支援機構は、その世代が中心メンバーであることから駄菓子についても栄養学の面から研究をしてきました。それとは別に、日本人の体質や食事の歴史についても研究をしてきましたが、その中で昼食の歴史的な位置づけについて発表してきました。
今でこそ1日に3回の食事は当たり前になっていますが、日本人の庶民が昼食を食べるようになったのは江戸時代中期からでした。それまでは起床してすぐに朝食を食べ、日が沈んできたら夕食を食べるという食事パターンで、その間に空腹を感じたときには、軽食を食べていました。そのことを講習で話したあとに、エネルギー代謝に必要なビタミンB群のビタミンB₁、ビタミンB₂、ビタミンB₆、ビタミンB₁₂のうちビタミンB₁とビタミンB₂は体内で24時間は保持されるのに対して、ビタミンB₆とビタミンB₁₂は12時間ほどしか保持されないので、朝食と夕食ではビタミンB₆とビタミンB₁₂が含まれた食品を食べる必要があると話しています。
この話で納得はしてもらえるのですが、昼の空腹を紛らわすために何を食べていたのか、ということを聞かれたときのために文献を当たってきました。その結果として突き止めたのが駄菓子の存在でした。駄菓子といっても今の駄菓子ではなくて、一文菓子と呼ばれた安く食べられる雑穀から作られたもので、一文は今の価格では10〜20円くらいでした。つまり価格面では今の駄菓子と同じだったのです。駄菓子の時代から江戸時代中期以降は、おにぎりと漬け物を持って仕事場に出るようになり、駄菓子は働き手のものから子どもが楽しみで食べるものになりました。
駄菓子に高価な砂糖を使うことは許されず、あまりおいしいものではなかったことから、お菓子の位置づけになってから雑穀を水飴で練ったものが作られ、素朴な味わいが駄菓子の特徴となって、今に受け継がれているということです。