最新情報

食事摂取基準267 ナトリウム6

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から多量ミネラルのナトリウムの欠乏回避の「推定平均必要量の策定方法」の続きを紹介します。 〔推定平均必要量の策定方法〕 *成人・高齢者(推定平均必要量) 実際には通常の食生活においてナトリウム摂取量を0(ゼロ)にすることは不可能です。 古典的研究をレビューした結果として、座位で発汗を


食事摂取基準266 ナトリウム5

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から多量ミネラルのナトリウムの欠乏回避の「推定平均必要量の策定方法」を紹介します。 〔推定平均必要量の策定方法〕 ・基本的な考え方 腎臓の機能が正常であれば、腎臓におけるナトリウムの再吸収機能によって、ナトリウム平衡は維持され、ナトリウム欠乏となることはありません。 ナトリウム摂取量


12月13日の記念日

「ビタミンの日」ビタミンの日制定委員会が、ビタミンB₁の発見者の鈴木梅太郎が1910年12月13日に学会発表したことにちなんで制定。 「胃に胃酸の日」太田胃散が、胃を酷使する忘年会シーズンに合わせて胃に(12)胃酸(13)の語呂合わせで制定。 「大掃除の日」東和総合サービス(大阪府大阪市)が、正月事始め・煤払いの日に合わせて制定。 「伊達のあんぽ柿の日」ふくしま未来農業協同組合が


金言の真理70「お客様は神様です」1

金言の真理のタイトルで連載コラムを書き始めたのは、大事な言葉が別の意味、時には全く逆の意味に捉えられていることがあり、それについて“物申す”という気持ちもありました。 その最たるものとして早めに書こうと思っていたのが、今回のお題の「お客様は神様です」です。 “です”が被っていますが、「お客様は神様」ではなくて「お客様は神様です」にしたのは、“です”までを含めて大事なワードであり、深い関


児童発達サポーター13 サポーターへの期待1

児童発達サポーターを養成するための講習を実施するときには、何が期待されているのかということを初めに話すようにしています。 それは、同じ理解と認識を持って、発達障害児に対して優しく接するようにしてほしいという望みがあるからです。 1)発達障害に対して正しく理解して、偏見をもたない 障害という名前が使われていることから、発達障害は心身の障害であると勘違いされることがあります。また、周囲から理


食の不都合な真実21 米の残留農薬

今から30年以上前(1993年)の「平成の米騒動」のときのこと、記録的な冷夏と長雨による天候不順で米が不足して、海外から米が緊急輸入されました。しかし、輸入米(主にタイ米)で心配されていた残留農薬が思ったよりも少なかったという発表があります。 米は炊飯だけでなく、他の加工によっても口に入れる機会が多いだけに、残留農薬の不安は常に付きまといます。あまりに残留農薬が少ないという発表を受けて、検査


食事摂取基準265 ナトリウム4

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から多量ミネラルのナトリウムの欠乏回避の「必要量を決めるために考慮すべき事項」を紹介します。 〔必要量を決めるために考慮すべき事項〕 適切な身体機能のために必要な最低限のナトリウム摂取量については十分に定義されていませんが、世界保健機関(WHO)のガイドラインには、僅か200〜500mg/日


食事摂取基準264 ナトリウム3

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から多量ミネラルのナトリウムの「指標設定の基本的な考え方」を紹介します。 〔指標設定の基本的な考え方〕 我が国のナトリウム摂取量は、食塩(塩化ナトリウム)の摂取量に依存して、その摂取レベルは高く、通常の食生活では不足や欠乏の可能性はほとんどありません。 ナトリウムを食事摂取基準に含める


12月12日の記念日

「杖の日」丸富士(東京都大田区)が、高齢者や障害者の外出を促す目的で杖を持ってイッチニ(12)イッチニ(12)の語呂合わせで制定。 「あるこう!の日」アクトス(岐阜県可児市)が、元気に歩く声がけのイチ、ニ、イチ、ニを1212と読んで制定。 「5本指ソックスの日」ラサンテ(東京都立川市)が、1974年12月12日に元祖5本指ソックスの実用新案を提出したことにちなんで制定。 「明太子


言い違い3 裏舞台

「表舞台」というのは目立つステージというだけでなく、活躍ぶりを見せるところという意味もあり、そこから活躍そのものを指す言葉としても使われています。 「表舞台」対する言葉として「裏舞台」が使われることがあります。この言葉を使う多くのは活躍する人に隠れて、なかなか活躍する姿が見えない(見られない)人のことや、舞台でスポットライトが当てられる人のために、影になって見えない人という意味として使ってい