ポストコロナ「弘法も派手な誤り」1

「弘法も筆の誤り」というのは、弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)のような書の名人でも書き損じることがあるということから、書の世界だけでなく、どのような道に長じた人でも失敗があるということを指していて、別の諺(ことわざ)では「猿も木から落ちる」「河童の川流れ」というのが、よく使われます。弘法大師というのは、死後に与えられる位の高い人の諡(おくりな)で、醍醐天皇から名を贈られました。
真言宗の開祖である空海が、どんな書を失敗したのかというと、一般に伝えられているのは大内裏の應天門の額に書いた文字で、广(まだれ)の「應」と書くべきところを、厂(がんだれ)にしてしまったといいます。ただ、間違ってしまったということで終わらず、誤りを見つけたときに、筆に墨をつけて、額に向かって投げたところ「ヽ」の位置に当たって、正しい「應」になったというのが、弘法大師たる物凄い行いです。
天才なのに間違いを犯したといって、頭をポリポリと掻いて済ますというようなことではなくて、失敗を失敗と認めて、即座に修正することを指しています。さらに、その修正の事実が後々にわからないようにするために、一瞬にして修正するような技量が必要です。その前後のことを含めて、「弘法も筆の誤り」という諺(ことわざ)になっているのです。
長々と前説をしてきましたが、今回のテーマの「弘法も派手な誤り」は、筆の誤りの“筆の”を“派手な”に変えただけのことです。その単純な入れ替えをしたことで、伝えるべき意味合いがまったく変わってしまいます。
有名な諺をもじって、わざわざ示しているのは、コロナ後の時代にすべきことを示唆するためで、聞き覚えがある言葉のほうが、記憶に残って、深く考えるために役立つであろうという思いがあってのことです。どのようなことを示唆しているのかということについての話は、次回に続きます。