ポストコロナ「憎まれっ子世にはびこる」1

イエスマンだけでは会社は発展しない、むしろ上司に反発して、これまでと違ったアイデアを出してくる人材こそが重要だ、と言われたことがあります。“言われたことがある”ということは、今ではそうでもないということを示唆しているわけですが、イエスマンどころか、イエスもノーもない、何を考えているのかわからない存在が増えてきています。
ここまで断定的に書くのは、ゆとり世代と呼ばれる1987〜2004年の生まれの最年長は34歳で、それ以降の若い、それこそ「憎まれっ子」となってほしいと期待される年代は、子どものときに競争社会の厳しさを体験してこなかった世代だけに、我武者羅(がむしゃら)に競っていこうという気概が弱い(感じられない?)ところがあるからです。
また、バブルが崩壊した1991年に生まれた世代は今は30歳で、頑張ってもよいことがなかった、あまり頑張らずに生きていこうという思考の若者が今後は次々と働き手の中核に入ってくることになります。
コロナ後を考えるための今回のテーマの「憎まれっ子世にはびこる」は、「憎まれっ子世に憚る」という諺(ことわざ)のもじりで、憚る(はばかる)は“遠慮する”という意味と“幅をきかせる”という意味があって、違ったイメージを与えます。諺としては“他人から憎まれるような者ほど逆に世間では幅をきかせる”という意味であるので、遠慮するという意味合いはありません。しかし、組織の中では幅をきかせるにしても遠慮する気持ちも少しは残っていることが期待されています。
「憎まれっ子世にはびこる」のほうも、幅をきかせて、むしろ周囲を遠慮させている存在ですが、遠慮する気持ちはなくて、勝手気儘(きまま)に行動をする存在を指しています。これまでだったら使いにくい存在、組織に向かない存在と思われがちでしたが、それでも特殊な能力の持ち主であれば歓迎されています。新型コロナウイルス感染によって、その歓迎ムードが進んだのか、それとも減退しているのかというのが、今回の考察ポイントで、それについては次回に続きます。