ポストコロナ「憎まれっ子世にはびこる」3

発達障害者はIT産業では欠かせない存在となり、コロナ禍を経験して、その流れはますます勢いを増しているということを紹介しましたが、IT産業だけが活躍の場ではありません。2040年には全労働人口の20%が医療と福祉に必要だという厚生労働省の推計を見ても、いかに多くの働き手が必要かということで、これまでの医療人材、福祉人材だけでは、とても支えきれるものではありません。
それだけ高齢化が一気に進んでいるということですが、医療と福祉の専門職は誰でもできるというものではありません。専門の資格が必要で、不足する人材を発達障害者でまかなえるかというと、それは難しいことです。となると、周辺の仕事をして、専門職が働きやすく、専門性を発揮できるように支援するところに入っていくことが必要になります。
その働き場は地域にあります。高齢化が進んでいる地域では、表現がふさわしくないことを承知して使いますが、“猫の手も借りたい”という状況です。発達障害は“障害”という文字が使われていますが、従来の考え方で分類される障害者ではありません。発達障害者が働けない、活躍できない社会システムのほうが“障害”となっていて、その煽り(あおり)を受けているのが発達障害者なのです。
これまでの考えでは発達障害者は社会的コミュニケーションが苦手な「憎まれっ子」の存在だったかもしれませんが、コロナ禍で大きく低下してしまった国民的な健康度を元に戻していく、それも短期間で一気に戻していかないと健康寿命の延びが止まってしまうという状況では、地域で活躍してもらいたい大きな存在として期待されています。
卑近な例かもしれませんが、外出自粛、人流抑制で歩く機会が減ったために低下した健康度は歩いて回復するのが最も簡単な方法で、安全性を確保した上でのウォーキングは重要になります。ただ歩けば健康という従来の考え方ではなく、健康になるための方法を学ぶのと同時に実践として歩く、歩くことをきっかけにして、歩くこと以外の健康づくりの場面には、発達障害がある人には「大いにはびこってほしい」という強い願いを抱いています。