ポストコロナ「沈黙は損なり」2

言いたいことを言わなかったために損な役回りになって、「沈黙は損なり」を経験したことは何度となくありました。口出しをすることでもない、口出しをしたら雰囲気を壊す、口出ししたら傷つけるかもしれないという気遣いのレベルなら、わざわざ書くほどのことでもないのですが、言っても理解してくれない人、態度を変えるつもりがない人には何も言わずに距離を開ける、去るといったことをしてきました。
中には、自分がいないうちに会合をして先に進めてくれと言っておいて、会合の結果が想像していたことと違ったら、自分がいないときに勝手に会合を開くとは何事か、と怒って、すべても台無しにしたオーナーがいました。それでも他の会合に参加した人はオーナーが間違っているとは誰も口にせずに、そこから去ったことを途中で放り投げたといって批判していると後になって聞いて、そんな人から離れてよかったと思ったこともありました。
「沈黙は損なり」の元々の言葉は「沈黙は金なり」ですが、他人の沈黙は反対がない、全員が賛成と思い込んで、特に対策を取らなかったことが、コロナ禍で、これまで蓄積してきた実績を台無しにした例も多数目にしてきました。言っても改善されないと思ってしまったら、何も言わなくなります。臨床栄養の世界にいたときに、患者が給食に特に何も言わないので、自分の病院の給食はよい内容だと言い張っている院長がいました。看護師に文句を言ったのに上に伝わらず、それが栄養部門にも伝わらなかったら、何もしてくれない病院だと思って、文句を言う気持ちも失せてしまいます。栄養部門まで伝わっても、それを上に話すと評価が下がると思って、特に行動を起こさないということも、よく目にしました。そんな忖度にもならない沈黙の行動は決して“金”ではなくて、最終的には“損”になるということに気づかない人が多いのは事実ですが、そんなことでは潰れてしまいかねないのが、こんなにも長く続いたコロナ禍の社会だということを伝えたいのです。