会社の役職は今でも完全には理解していない

大学生時代から専門業界の定期刊行物の執筆と編集をしていたもので、就職ということをしたことがありません。だから、給料のように定額を受け取ることはあっても、ボーナスをもらったこともありません。専門業界の定期刊行物といっても、いわゆる業界紙・誌ではなくて、初めて仕事をしたのは日本厨房機器工業会(現在は日本厨房工業会)の『月刊厨房』です。作家の先生の自宅に通っていたときに知り合った出版社の社長が、なぜか団体機関誌も受けていて、その手伝いから始まりました。
厨房で働くのは調理師で、病院の調理師団体の機関紙を手伝うようになり、病院の栄養士の団体で機関誌を手伝い、医師と病院栄養士で構成される臨床栄養の機関誌のあとには病院調理の専門誌の編集長も引き受けました。
そんな狭い社会でしか動いていなかったので、階級や役職には疎くて、部長、次長、課長、係長なら名刺をいただいてもトップから順番に並べることはできても、他の役職は理解できないという状態でした。副部長は次長の上なのか下なのか、本部長は部長よりも上らしいとわかってもどれくらい上なのかわからず、ゴーストライターをさせてもらっていた大手出版社で副長という名刺をいただいたときは、どの位置なのかさっぱりわかりませんでした。
父が警察官であることから、巡査、巡査長、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長、警視監、警視総監と上がっていく仕事だというのは理解していました。父は高卒で入ったので警部まででしたら、父の従兄弟が警視正で、後に知り合った方は警視庁の警視長でした。ある宗教団体の教祖を隠れ家から引っ張り出したことで有名になりましたが、その指揮を取っていた警視総監に会えたのは退職後についた公益財団法人の理事長になってからでした。
自衛官も消防官も階級は覚えましたが、いまだに充分には理解できていません。ただ、公益団体の役職はトップの会長から理事長(組織によっては副会長、副理事長があり)、専務理事、常務理事、理事、評議員と続くのは、どの団体もほぼ同じで、ずっと公益団体と付き合ってきたので、それだけは理解できています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)