味覚は子どもの時期の食事が影響する

生まれたのは新潟県の出雲崎町のお寺で、母の実家です。生まれただけでなく、父が転勤の関係で山奥に暮らしていたときに、弟が誕生して、母の負担を減らすためもあって、小学校の入学前まではお寺で祖父母と叔母と一緒に暮らしていました。お寺は精進料理というのは今は昔の感覚ですが、遠方に佐渡島が見える漁村だったこともあり、檀家に漁業関係者が多かったことから魚料理がメインでした。
小骨が苦手で食べるのに時間がかかり、家族のお膳は片付けられていくのに、自分だけお膳の前で魚と格闘していたことは今でも記憶があります。食卓で食べるのは、お寺の儀式で多くの方々が集まるときだけで、普段はお膳から食べていました。
もともと寒い地域は塩分の摂取量が多く、漁業の労働者が多いことから、さらに味付けは濃くて、それに追い打ちをかけるように浜焼きが名物の地域でした。浜焼きというサバやイカを串に刺して炭火で焼き上げる伝統の調理法が根付いていたので、家庭料理でも塩焼きが多く、さらに煮物も塩をたっぷりと入れるというのが普通のことでした。
お寺には甘いものがつきものですが、まだ砂糖が貴重品だった時代なので、小豆を煮込んだときには甘みを引き立たせるために塩を入れるということも普通のことで、食事でもおやつでも塩をたっぷりと摂って育ちました。
親元に戻ったときに、私だけが塩味を求めるということで、薄味にするように心がけたと後に母から聞きました。小学生のときには母の実家には年に何度か行き、夏休みはずっと過ごしていました。同じ料理なのに母の普段の味付けとのあまりの違い、そこに住んでいたときには当たり前の味付けと思っていたものが、実は濃すぎる味付けだった、塩が多く使われていたということです。味が合わなかったことで、発達障害児の極端な偏食というほどではなかったものの、おいしい(はずの)食べるものはたくさんあるのに、食が進まずに、母の実家からやせて帰ってくるということを繰り返していました。
一人暮らしをするようになってからも、そして今でも味付けは薄いほうが好きで、そのほうが料理の素材の味がよくわかるという味覚は、子どものときの経験が影響しているようです。仕事で塩分制限について情報発信をするようになったとき、その経験が大いに役立ちました。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)