旅は道連れ“要はお酒”となったきっかけは転校の連続

子どものときには、父の転勤に従って転校を繰り返していましたが、行く先で、なぜかクラスメイトに造り酒屋の息子が必ずいました。跡取りもいれば、次男、三男もいましたが、酒蔵には親しみがあって、作り方は同じはずでも、どこかが違っている、それが知れたらいいなという思いで、遊びにいっていました。
父の実家が新潟県柏崎市の米屋で、一時期は酒米を扱っていたこともあったので、父の地元でも酒蔵を訪ねたことがあります。母の実家はお寺で日本酒が生活の場の近くにありました。隣村に蔵元が2つあり、その銘柄がお寺には並んでいました。実家のある新潟県出雲崎は漁師町で、蔵元がなかったからですが、後になって東京で酒のペンクラブの会員となり、珍しい日本酒が持ち込まれることがありました。その中に隣村の2つの銘柄もあり、作り手と会うことができました。一つは漫画の夏子の酒の舞台になった蔵元、もう一つは出雲崎出身の良寛和尚の書から名づけられた和楽互尊の蔵元でした。
大学ではサークルの後輩に杜氏の息子がいました。美酒爛漫ですが、お酒飲みたさではなくて(と言い訳をしておきますが)、アパートを訪ねると何本も日本酒があり(しかも一升瓶)、お酒に不自由することはありませんでした。
全国を取材、講演、学会参加などで回る仕事をしていて、「行ったことがないのは鹿児島県だけ」ということを各地での話の初めに使うほど全国に行きました。最終的には鹿児島県も制覇したのですが、「仕事に来たのか酒を飲みに来たのか」と言われることがあり、そのときに返歌のごとく使っていたのが「旅は道連れ“要はお酒”」です。もちろん“世は情け”のギャグ使いです。
岡山県に移住する前から岡山県産の日本酒は何種類も飲んでいました。東京のデパートにも複数の銘柄が並び、物産館の「とっとり・おかやま新橋館」にはズラリと並んでいました。ところが、移住して岡山しかほぼ流通していない銘柄があり、今ではその味にハマっています。岡山県は全国で人気が高い酒米の雄町米があり、私が住んでいる地域と、その周辺が産地です。
フルーツ王国だけにワインの生産も盛んで、さらにキリンビールの岡山工場は全国2番目の規模で、住んでいる町内にあったので、出来立てのビールも飲めるという環境。旅をしなくてもお酒に恵まれた土地に定住することができました。ということで、お酒に親しんでも太らないダイエット法の開発にも取り組まないと、という決意をしています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)