日本人の食事は戦後に急変したのだろうか

戦前の日本の食事といえば“和食”で、戦後に“洋食”が家庭にも入り、日本人の食生活は大きく変化した、ということが一般には言われています。そうとも限らないことを知ってはいたのですが、日本メディカルダイエット支援機構で日本人の体質研究をしていることがわかると、どうして対照的なものを例示することが求められてしまいます。和食と洋食、ご飯とパン、魚食と肉食、野菜摂取量の変化、食物繊維の量の差など、目立つデータがないかと必ずといっていいほど聞かれます。
終戦後に国民栄養調査(現在の国民・健康栄養調査)が初めて発表されたのは昭和22年(1947年)のことで、終戦から2年後のことでした。その年からの調査を比較してみると、急激に変化したわけではなくて、まだ同年は東京都だけで学校給食が再開されただけです。このときのことを思い出話として話す人の中には、ララ物資(アメリカからの援助物資)を無償で提供されたと信じている人もいますが、実際には支払いを後にしてもらっただけで、アメリカの余剰物資を買わされていたというのは実際のところです。
昭和27年(1952年)には国民的な食糧事情が改善したことから全国的に完全給食が実施されることになりました。この事実を受けて、教科書の中には、昭和27年を“完全給食元年”としているところもあるのですが、パン、おかず、牛乳の完全給食は都市部だけのことでした。
私が小学校に入学した昭和36年(1961年)には、新潟県の山奥であったことから初めて“ミルク給食”が実施され、弁当持参でミルクだけが給食として出されました。この場合のミルクは脱脂粉乳をお湯で溶いたもので、今の牛乳に比べると美味しくない、臭い、まずいという評判のもので、そのときの体験が根強くて、牛乳が苦手になったという同世代の人も少なくありません。
2年生のときには完全給食が始まりましたが、通っていた学校があったのは山奥といっても商店がある地域で、教育モデル校であったために早かっただけで、周囲の学校で完全給食が始まったのは2年後のことでした。
洋食は学校給食で知り、カレーライスが食べられるようになっても肉が入っている家庭は少なくて、ほとんどが鯨肉でした。豚肉は魚屋さんがバスに乗って都市部に買いに行くというような状況で、まだ冷蔵輸送が整っていないので、ひょっとしたら少し傷んでいたものを喜んで食べていたのかもしれません。
魚の消費量が大きく伸びたのは冷蔵輸送が普及した昭和30年(1955年)以降だったということで、戦後直後から急激に食生活が変わったわけではなかったのです。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)