“逆さ仏”は食事の変化だけが原因だったのか

子どもの頃に親や祖父母などから聞いた物語の初めの言葉は「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」で、これは桃太郎の冒頭だけでなく、多くの昔話に共通して使われています。それが今では65歳以上の人口が占める高齢化率は28.4%(令和元年)になり、高齢者の夫婦のみ世帯が31.1%(平成30年)という時代になって、「あらゆるところに」と言い換えなければならないような状況になっています。
高齢社会は今に始まったことではなくて、今から50年以上前のことです。50歳の人が生まれたときには、すでに高齢社会だったわけです。
ちなみに高齢化社会は高齢化率が7%以上で、これを超えたのは高度成長期の1970年のことです。高齢社会は高齢化率が14%以上で、1994年に突入しました。海外と比べると高齢化社会から高齢社会になるまでにドイツでは42年、フランスでは114年もかかりましたが、日本はわずか24年しかかかっていません。超高齢社会は21%以上で、これに達したのは2007年のことでした。
高齢化率が高くても、元気な高齢者がたくさん暮らしている地域は全国にありましたが、その中でも長寿村として知られたのが山梨県の棡原村(現在は上野原市棡原)でした。私が調査に入ったのは、あまりに棡原村が有名になっていたときです。そのときには、国立病院の栄養部門のOBが設立した研究所のメンバーになっていましたが、OBの一人が山梨県の病院の栄養のトップだったことから、この長寿地域が有名になった調査活動の話を当時の報告書を見ながら教えてもらったことがあります。
棡原村は“逆さ仏”という言葉が全国に知られるきっかけになりました。これは親が子どもの葬式を出すことを指していて、終戦後に食事を含めた生活環境が大きく変化したことから若い世代が先に亡くなる例が急激に増えていました。これを当時、調査に入った研究者は食事で肉食・洋食が増えて、高齢者が食べている伝統的な食事を食べなくなったことを結論としていました。
棡原村の最寄駅の上野原駅から東京の八王子駅までは列車で30分ほどの距離で、戦後には八王子周辺に働きに行く若者が急増しました。当時の調査に協力した役場のOBに話を聞く機会があり、調査報告書を見ながらインタビューしたところ、「実は報告書に書かれなかったことがある」と言われました。それは飲酒量の増加です。
戦前までは飲酒の機会といえば冠婚葬祭くらいだったのが、収入が上がって、働きに出ていた若者の飲酒量が急に増えました。これが健康度にも寿命にも大きく影響したことは地元の方々は気づいていたのに、調査に入った人たちが伝統食にばかり注目しているので、言い出せなかったということでした。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)