投稿者「JMDS」のアーカイブ

自分がやってきた自業を変えられないために苦しむ「自業苦」については前回書きましたが、これは決して悪いものではなくて、次の良い状態のための通過点として着実に進んでいくべき道と考えることができます。

現在の苦しみの「自業苦」を、楽に変える生活ができれば、業の苦が楽になるということで「業苦楽」(ごくらく)となります。自業苦がなければ業苦楽もない、つまり苦しみを感じて自分を変えることができた人は、すべてが極楽に行けるという極楽往生を説いたのは浄土真宗の開祖の親鸞聖人です。

しかし、誰でも極楽に行ける、念仏を唱えるだけで極楽に行けるというような簡単なことではありません。阿弥陀如来に信心をすることで極楽に行くことができるということです。

たとえ仏であっても頼るだけでよいのかという発想もあるかと思いますが、浄土真宗では阿弥陀如来を信心する他力本願が重要となります。

現世で業苦楽(極楽)を感じることができれば、亡くなったときに即座に自動的に極楽浄土に行けるわけで、閻魔大王のお裁きを受けることもない、そもそも裁判が行われる冥土に行くこともないわけです。

自業苦を経験しなければ業苦楽もないということであれば、「苦しむことは修行のうち」と考えられることもあります。しかし、これにも異論があって、浄土真宗では苦行も坐禅もありません。

「自業苦」を経験しなければ絶対に極楽に行くことがないということではなくて、「自業苦」を感じた人であっても極楽に行くことができるということですが、この説明は他宗の方々には理解しにくいことかもしれません。
〔小林正人〕

「笑う門には福来る」とはいうものの、笑っていれば福が来るとは限らないというのが今の世の中で、笑いが起こるような講習を心がけていれば受講者が満足するということではありません。

もちろん、難しい話を、話す側が難しい顔をして話していれば緊張感が高まり、緊張感が真剣に聞くといくことにつながればよいものの、緊張しすぎて話がよくわからなかった、充分に理解できなかったということにもなります。

自分が聞く側に回ってみると、こんな話し方をしていたら、せっかくの内容が活かされないと感じることもあるのですが、自分が話す立場になってみると、案外と受講者として自分が感じていたことを実はやっていたということに気づかされることもあります。

「笑う門には福来る」は、いつも笑いが絶えない家には自然と幸福がやってくる、いつも明るく朗らかでいれば自ずと幸せがやってくるという意味です。また、悲しいことや苦しいことがあっても、希望を失わずに朗らかに生きていれば幸せが訪れる、という意味でも使われています。

今さら説明はいらないでしょうが、「門」(かど)は家や家族のことで、「福」は幸福、幸せを意味しています。

あるセミナーで講師が「笑う門(もん)には〜」と言っていて、参加者も司会者も指摘しなかったことがありました。別のセミナーで講師が「笑うカドには〜」と言っていたので安心していたら、講習テキストに「笑う角には〜」と書かれていました。

隅み(すみ)っこで笑うのではなくて、世間に向けて大笑いしなければ、と思い浮かべたことがあり、そのときに感じたことが今回の「笑う門には福は内」という諺(ことわざ)のもじりの言葉を使うようになったきっかけとなっています。
〔小林正人〕

「こんにゃく麺の日」ヨコオデイリーフーズ(群馬県甘楽町)が、生麺風こんにゃく麺が誕生した2013年5月20日にちなんで制定。

毎月20日:「ワインの日」(日本ソムリエ協会)、「信州ワインブレッドの日」(信州ワインブレッド研究会)、「シチューライスの日」(ハウス食品)、「発芽野菜の日」(村上農園)

名言は古くから使われてきた言葉であったり、歴史的な著名人の言葉であることが多いのですが、ここで取り上げる「心が折れる」は比較的新しくて、この言葉を初めて使った人も現役として健在です。

新しい名言は、辞書に載ることは少なくて、ピックアップされても「新語・流行語大賞」くらいなのですが、この「心が折れる」は辞書に掲載されています。その意味として「心の支えを失い、意欲がなくなる」「障害にぶつかって挫ける」と説明されています。

この起源(発祥)となったのは女子プロレスラーの神取忍さんが1990年に発言した「相手の心を折る」です。

そのきっかけは今もって伝説の試合と称される1987年7月18日のジャパン女子プロレスの最後の興行でのこと。神取しのぶ(当時は本名を名乗っていた)とジャッキー佐藤の一戦について後に、神取さんが関節技での勝利を振り返って言った言葉です。

関節技が決まると痛みに我慢ができなくなり、限界に達したらタップして「参った!」(ギブアップ)をします。腕が折れる前に、相手の心を折るという発言でした。

壮絶なケンカマッチとなり、腕の骨を折ることはできたが、選手生命を奪うようなことはできないからと、関節技で精神的なダメージを与える「心を折る」選択をしたということです。

柔道の世界選手権3位、全日本選抜体重別選手権3連覇の実績があり、後に男性レスラー顔負けの圧倒的な強さで、「ミスター女子プロレス」「女の中の男」と称された神取さんですが、この「相手の心を折る」という話は本人から直接聞きました。

それは2004年の参議院議員選挙に出馬(比例区、自民党公認)したときにPR戦略チームに加わったときのことです。次点で落選したのですが、2006年に参議院議員の竹中平蔵氏が辞職したことによって繰り上げ当選となりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「需要があるところに新たに創設する」のが初めに着手することで、それが継続できるようにバトンタッチしていくのが私の役割でした。

それは2001年に霞が関の再編によって厚生労働省が誕生したときから、今では当たり前になっている制度を内部に入る形で作ってきました。

公益社団法人、公益財団法人の制度が始まった2008年からは、広く健康に関わる関係先の公益法人への移行をサポートしながら、自らの活動の場として特定非営利活動法人(NPO法人)を設立して、他の法人がやってこなかった“小さなこと”にこだわって情報提供をしてきました。

東京から岡山に移住したのは2017年のことで、「過去と未来の融合」をテーマにして、東京人脈と研究成果を岡山で活かすことを考えていました。

発達障害児の支援では、移住後に地方創生プログラムの健康ツーリズム(内閣府交付金事業)の企画を担当する中で知り合った病院のリハビリテーション部長に協力して、発達障害支援施設を運営する団体として特定非営利活動法人Pro Bono Rehabilitation Services(通称:プロリハ)の設立を支援しました。

2020年にプロリハの発達障害児支援施設は岡山市東区瀬戸町(瀬戸駅近く)に設立されて、その後に監事に就任。医療スタッフの理学療法士と作業療法士が主導する数少ない支援施設で、2021年には2号施設を岡山市北区東古松(岡山大学病院近く)に開設。3号施設は岡山市北区牟佐に2022年6月に、4号施設は備前市伊部に2023年9月に開設しました。

それと並行して、発達障害の中でも大きな社会課題となっている学習障害の支援にも取り組んでいきました。
(これについては次回に続きます)
〔発達の伴歩:小林正人〕

浄土真宗の開祖の親鸞聖人の教えの中に「地獄」という言葉は出てこない、というよりも地獄の概念が存在していなくて、別の文字で表現されています。それは「自業苦」(じごく)です。

自業は自業自得の前の部分のことで、自分が行ってきたことによって苦しむのは「自業苦」だとされています。

他の人よりもよい生活をしている人が今の生活を崩したくない、もっとよい生活をしたい、他の人よりも上に立ちたいと望み、それがかなえられないこと、思ったよりも歩みが鈍いことを苦しみのように感じることがあります。これも自業苦となります。

地獄という概念がないので、一生懸命に信心しないと「地獄に落ちる」ということもありません。地獄に落ちたくなければ善行を積めばよい、と言って苦行や、苦行がわりの金品を求めるということもありません。

浄土真宗には苦行もなければ、宗教行為でも葬式も含めて堅苦しいことも本来はありません。“本来は”と書いたのは、今の時代では開祖が定めた通りに受け継がれていないところもみられるからです。

時代を経て他の宗派が当たり前にやっていていることを徐々に受け入れて変化してきた部分もあります。門徒(浄土真宗の信者)だけでなく、葬式に参加する方々がイメージする宗教行為との違いを薄めてきたところもあります。

詳しいことは別の機会に書くとして、このようなことを地獄のような思いをして学ぶこともありません。

「足るを知る」という言葉があります。元は中国古代の思想家・老子によって説かれたことで、その後には「富む」という言葉が続きます。老子が説いたのは「知足者富」で何事に対しても満足するという意識を持つことによって精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていくことができるということを表しています。

満足するといっても「身分相応に」という附則はつくかと思いますが、あれこれと求めることは、その人と関わる人、周囲にいる人にも影響を与えます。

本人だけの「自業苦」だけではなく、関わる人たちにとっても、その人の自業の結果が「自得」で済まずに、「自業」でもないのに「自業苦」へと導くことにもなります。
〔小林正人〕

「IBDを理解する日」IBDネットワークとアッヴィ(アメリカ・ノースシカゴ市)が、IBD(炎症性腸疾患:潰瘍性大腸炎とクローン病)の理解のためのイベントを開催した日に合わせて制定。

「香育の日」日本アロマ環境協会が、子どもの香り体験教育の香育の普及を目的として、こう(5)いく(19)の語呂合わせで制定。

毎月19日:「いいきゅうりの日」(いいきゅうりの日プロジェクト)、「松阪牛の日」(やまとダイニング)、「熟カレーの日」(江崎グリコ)、「シュークリームの日」(モンテール)、「クレープの日」(モンテール)、「食育の日」(食育推進会議)、「イクラの日」(カッパ・クリエイト)

名言は正しい意味で伝わってこそ金言となるもので、意味が違っていたら、どんなに奥深い言葉であっても金(きん)をつけて呼ぶことができなくなってしまいます。

その代表とも言えるのが、「情けは人の為ならず」です。

本来は、「情けは他人のためだけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にも親切にせよ」というのが本来の意味であるのに、逆に伝わっていることが多くなっています。

どれくらい多いのかというと、文化庁の「国語に関する世論調査」では、正しい理解(人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになる)をしている人は47.2%で、誤用(人のために情けをかけて助けてやることは結局は、その人のためにならない)している人は48.2%と、わずかであっても誤用のほうが上回っています。

逆に伝わっているというのは、「人の為ならず」を人のためにならないと解釈をしていることを指しています。

「人の為(に)なる+ず(打ち消し)」と考えて、他人のためになることではないと誤って覚えてしまったということです。

「ならず」は「に非ず」の音便(言葉を発音しやすくするために、単語の中や語尾の音が変化する現象)で、中世から続く日本語の伝統的な使い方です。

本来の意味合いは、「人の為なり」という断定の言葉に打ち消しの「ず」が結びついたもので、「他人のためではない」ということから「自分のためになる」という意味になります。

人の為にならないということを表現するのであったら、「情けは人の為なるべからず」としなければいけないのです。

少なくとも、その人のためにならないのだから情けはかけてはいけない、放っときましょう、という意味で使うようなことだけは避けなければならないことです。

「情けは人の為ならず」は、他人のためではなくて、自分のためになるという正しい使い方をしたいものだ、ということですが、「情けは他人のためだけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にも親切にせよ」という本来の意味について、それでよいのだろうかとも考えています。

情けをかけることが結局は自分のためになるとはいっても、情けをかけられた人が情けだと思っていない、かえって迷惑(ありがた迷惑)と感じているという人が多くなってきた時代には“情けのリターン”を期待するのは難しくなっています。

情けまではいかなくて、小さな親切であっても余計なことと感じるコミュニケーション遮断をする人がいます。そんな人から言われたことで、今でも鮮明に記憶に残っているのは「小さな親切、大きなお世話」です。なかなか、うまいことを言っているな、とは思うものの、面と向かって言われたときは本当にショックを受けました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日本肥満学会は、新たな症候群の対策として体重を増やすことを主とした発表を行いました。

それは「閉経前までの成人女性における低体重や低栄養による健康課題」で、これまでの体脂肪を減らすメタボリックシンドローム対策とは逆という印象があります。

その発表の中から、新たな症候群の概念の「症候群の名称案」を紹介します。

〔症候群の名称案〕
このような背景から、ワーキンググループでは、女性における低体重・低栄養と健康障害の関連を示す症候群の名称として、「Female Underweight/Underanutrition Syndrome(FUS)」(女性の低体重/低栄養症候群)を提案しました。

18歳以上で閉経前までの成人女性を対象とした場合、FUSに含まれる主な疾患や状態は以下の通りです。

*低栄養・体組成の異常
 BMI:<18.5kg/㎡
 低筋肉量・筋力低下
 栄養素不足(ビタミンD、葉酸、亜鉛、鉄・カルシウムなど)
 貧血(鉄欠乏性貧血など)

*性ホルモンの異常
 月経周期異常(視床下部性無月経、希発月経)

*骨代謝の異常
 低骨密度(骨粗鬆症または骨減少症)

*その他の代謝異常・耐糖能異常
 低T3症候群
 脂質異常症

*循環・血液の異常
 徐脈
 低血圧

*精神・神経・全身症状
 精神症状(抑うつ、不安、集中力低下、認知機能低下)
 身体症状(全身倦怠感、睡眠障害、冷え性、頭痛、便秘、髪質・肌質の低下)
 身体活動低下
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

私の母親の実家(新潟県出雲崎町)は浄土真宗の寺院で、私は3歳から6歳(小学校にあがる直前)まで、親元を離れて暮らしていました。

上京して通った東洋大学の学祖(設立者)の井上円了先生は、新潟県来迎寺村(現在は長岡市)の浄土真宗の寺院の出身で、大学の図書館には仏教関連の書籍が、それこそ山のようにありました。

浄土真宗に関する書籍や資料も数多くあり、お寺を継ぐ身ではなかったので、ここしか学ぶ機会はないとの思いもあって、時間さえあれば図書館にこもっていました。そして、初めの数冊で、浄土真宗の開祖の親鸞聖人の教えの一つである「自業苦」(じごく)に行きつきました。

浄土真宗が他の宗派と大きく異なっているのは、地獄が存在しないことです。浄土真宗の信者・門徒は、亡くなったら即座に誰もが極楽にいくことができるという教えがあります。地獄があるとしたら、それは生きている現世に存在していることになります。

そして、それは自らが行ってきた自業によって起こるもので、それは自業自得です。

他の宗派であったら、自業自得は悪い行いをしてきた結果であるので、悪い結果になるということになるのかもしれませんが、そもそも自業自得は良い行いによって良いことが起こることも、悪い行いによって悪いことが起こることも意味しています。

最も悪い出来事は亡くなってから“地獄に堕ちる”ことです。そうならないように必死になって祈る、悪いことをしてきた分を取り戻して、さらに善行を積んでいくということが説かれる宗教・宗派がほとんどかと思います。

これに対して、浄土真宗には地獄が存在していないので(私が育った寺院には他の宗派で目にした地獄絵はなかった)、亡くなってから地獄に行くことはありません。浄土真宗の門徒(信者)が行く先は全員が極楽です。

浄土真宗には亡くなってからの地獄はないわけですが、先に書いた現世に存在しているのは何かというと、これが自業によって苦しむことで、これを「自業苦」と書いて「じごく」と読み、地獄と同様の苦しみの状態を指しています。
〔小林正人〕