「煮詰まる」の本当の使い方

「考えが煮詰まった」と言われたら、“よい企画が出来上がってきたのだな”と思って、発表を促したところ、「煮詰まったと言ったのですけど」と返されたことがあります。これは雑誌編集者と話をしたときのことですが、テレビ番組のプロデューサーとの話のときにも「企画が煮詰まって」というので、いよいよ本番に向けて準備が整ったのだと思って、コメント取材の具体的な内容を検討しようと切り出したときにも「煮詰まってしまって、まだまとまらない」という返答でした。
煮詰まるというのは、時間をかけてグツグツと煮てきて、いよいよ完成が近づいてきたことを表現する言葉です。煮物料理だと、時間をかけて煮詰めて、煮汁がなくなってきた状態を指しています。いよいよ食べ頃になったことを伝える言葉です。
それを“行き詰まった”という意味として使うのは雑誌やテレビなどのメディアの独特な表現なのかと思っていたら、正しい言葉づかいを教える教育の場でも、結果が近づいたではなく結果に近づけない意味で使っている先生がいて、驚かされたものです。
といっても、その誤用をしているのはメディアが多いので、どうして使っているのかを聞いてみたところ、思っていたのと違った返答がありました。それは話している相手が間違っているので、それに合わせるためということ。メディア関係者は正しい言葉づかいを知っているのに、話をしている側が間違っているので、仕方がなく誤用しているという言い分です。
それならわざわざ“煮詰まった”という言葉を使う必要はなくて、“行き詰まった”でよいと思うのですが、まるで煮詰まりすぎて失敗したというような使う方をされると困ってしまいます。間違いであっても多くの人が使っていると、だんだんと正しい言葉の仲間入りをしてくるということはあります。言葉の成否を判断するには広辞苑に従うという方法があります。ということで広辞苑で煮詰まるを引くと、「結論が出る」と併記の形で「行き詰まる」が掲載されています。
これをもって、自分の“煮詰まる”という表現は間違いではないと言う人もいますが、正しく伝える仕事をしている人は、聞いた人が、どちらかわからない言葉は使うべきではないとの考えをしています。