ポストコロナ「喉元過ぎれば暑さ寒さも彼岸まで」2

今回のテーマは「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と「暑さ寒さも彼岸まで」を組み合わせた言葉で、意味を問われても何を言おうとしているのかわからない、単に言葉遊びと思われても仕方がないことです。前回は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」について本来の意味するところについて触れましたが、それを受けて今回は「暑さ寒さも彼岸まで」について触れていきます。
彼岸は春分と秋分の中日の前後3日ずつの合わせて7日間を指していて、夏の暑さも秋の彼岸になればしのぎやすくなり、冬の寒さも春の彼岸になればやわらいでくるということから、季節の変化を指す言葉で、諺(ことわざ)というよりも慣用句として使われています。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のほうは熱さだけで、これは暑さにも通じるところがあるのですが、「暑さ寒さも彼岸まで」のほうは暑くもない寒くもない過ごしやすい状態で、コロナ禍を経験してきた国民にとっては、感染確認者が激減して、このまま終息するのではないかと期待を寄せたい気持ちにもなります。
新型コロナウイルス感染症は、ワクチンも治療薬も出たことから、再び感染拡大が波のように襲ってこなければ安心できるのかというと、そうではないという考え方をしています。確かに新型コロナウイルス感染症は感染確認者がゼロにならなくても、拡大するほどのことではないという状況になれば、ひとまず安心と言えるかもしれません。しかし、新たな感染症は3〜6年ごとに拡大すると考えられていて、グローバル化した社会では、一地域の感染症が世界に拡散する可能性はあります。しかも今回の新型コロナウイルス感染症のように複数年に渡って感染が継続することも不安材料としてあります。
その恐ろしさもあるのですが、もっと危機感を感じているのは、新タイプの感染症に対しての対策が二転三転して、今の収束の理由を専門家もわからないと口にしている状況で、果たして次に新たな感染症が発生したときに、日本の防疫体制でシャットアウトできるのかというところです。
その結果が命に関わることとなると、今はしのげている状況であっても、いつ“彼岸”に至ることになるのか心配で仕方がありません。ここで言う彼岸は、季節のことではなくて、仏教でいうところの向こう岸のことで、極楽浄土を指しています。今回は極楽浄土というよりも“あの世”という意味合いで使っています。
コロナ禍で生きているのは地獄だと感じて自ら命を絶った人も少なくないことを考えると、安易に彼岸という言葉は使ってほしくはないところですが、苦しいときこそ煩悩から脱却するために行動を起こすべきだと考えています。