健康施策と私たちの関わり

1985年(昭和60年)に「健康づくりのための食生活指針」が策定されたとき、日本メディカルダイエット支援機構の理事長は、日本栄養士会の理事長であった山本辰芳先生が主宰するHDS(病院栄養管理)研究所の主任研究員を務めていました。臨床医と病院勤務の管理栄養士・栄養士によって日本臨床栄養協会が1979年に設立されていますが、山本先生が副会長であったことから食生活指針の内容を臨床栄養の世界から一般にも広める活動に加わっていました。
1996年(平成8年)に成人病の呼称を生活習慣病と当時の厚生省健康局長が変更させましたが、山本辰芳先生は国立病院国立療養所栄養士協議会の会長を務めており、当時の厚生省の栄養指導官が国立病院出身の管理栄養士であった関係から、厚生省の資料をもとにして臨床栄養による生活習慣病予防に取り組んできました。1988年(昭和63年)に第2次国民健康づくり対策(アクティブ80ヘルスプラン)が厚生省より発表されたとき、栄養とともに運動が注目されたことから、HDS研究所主任研究員として、日本歩け歩け協会(現・一般社団法人日本ウオーキング協会)との連携で運動と栄養の関連性についての研究に取り組みました。
同年にトータルヘルスプロモーション(THP)運動が始まり、産業栄養指導者の認定教育が始まる中、HDS研究所が中心となって産業栄養指導者会を設立して、教育支援と資格認定者の活動が始まりました。主任研究員として活動する中で、THP運動を構成する認定者のヘルスケア・トレーナー、産業保健指導者、心理相談員の各団体との連携を担当してきました。
また、同年には「運動型健康増進施設認定規定」に基づく運動型健康増進施設として大臣認定が始まりましたが、その調査と指導を実施する財団法人(現・公益財団法人)日本健康スポーツ連盟が設立されました。大臣認定施設には健康運動指導士の常駐が義務づけられ、その認定教育と更新教育には栄養知識が必須とされたことから支援に着手しています。この関係もあって、のちに日本メディカルダイエット支援機構の理事長は日本健康スポーツ連盟の理事として更新教育を担当しています。