健康第一なら第二は何か

“健康第一”という言葉は、健康に関わる仕事をしていると当たり前のように使い、よく耳にもしています。何をするにも健康に勝るものはなくて、どんな利益があっても健康がなければ、どうにもならないという意味で使っています。健康なんか意識もせずに頑張り続けて、その結果、身体を壊してしまい、金を使おうにも使えなくなるという戒めのようにも使われています。“身体が資本”という言葉も同じように使われています。
健康が第一なら、では第二は何なのかというと、金(“きん”ではなく“かね”)ではなくて、“知識”で、第三が金とされています。これを言ったのはアメリカの詩人のエマーソン(1803〜1882年)で、「健康は第一の富である」という言葉を残しています。
これには原典があって、西周(にしあまね)が人生三宝説という論文を発表しています。西周(1829〜1897年)は明治時代の哲学者で、世界に影響を与えています。人生三宝説で訴えているのは「三宝とは第一に健康、第二に知識、第三に富有」ということで、西周は「健康」に“まめ”というルビを振っています。まめというのは、まめに生きるというような使われ方をしていて、真心を持って生きることを指しています。
金を優先させて生きるのではなくて、稼ぐよりも健康を害しないことを優先させるべきだ、ということを示すために“健康第一”と言われがちですが、ただ無理をしないこと、頑張りすぎないこと、働くことよりも自分の生活を重視することということでもなくて、真面目に取り組むことを指しています。無理して働きたくはないので、健康のほうを大事にすると主張したくて“健康第一”という言葉を使ったら、これは真面目ではないと言われかねません。
知識の提供を売り物にしている私たちは「健康第一、原稿第二」という使い方もしているのですが、原稿は知識と富有の両方を意味していて、ただ原稿を書くために無理をするのではなくて休みも取るということでは、やはり“まめ”ではなく、不真面目であり、これは本当の意味で健康とはいえないと考えているところです。