最新情報

言い間違い1 足元を掬われないための活用

言い間違いは誰にもあることで、言葉の本来の意味を知っていても話をするとき、文字にするときに誤って書いてしまうこともあります。それは年齢のせいだと言い訳をすることもあれば、他人の過ちを指摘するツールとして使われることもあるのですが、決して揚げ足取りで指摘しているわけではありません。 自分にとっては、言い間違いを通じて、人を見分けるためのよい判断基準となることもあります。同じところに所属する人が


老いの脳力6 歩くことによるt−PAの効果

歩くことによって脳の機能が高まることについて、前回(老いの脳力5)、AMPキナーゼなどの働きから考察してきました。AMPキナーゼの働きに対して、能力を高める効果としてあげられるのはt−PAで、これは30分ほどの運動をすると分泌量が増えます。 t−PAには血栓を溶かす作用があり、血栓は脳血管を詰まらせて脳血管疾患(脳梗塞、一過性脳虚血発作)の原因となることから、認知機能の維持には重要な因子とな


食事摂取基準10 レビューの方法

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、科学的根拠に基づいたシステマティック・レビューを行っています。レビューの方法について紹介します 〔レビューの方法〕 可能な限り科学的根拠に基づいた策定を行うことと基本としています。 システマティック・レビューの手法を用いて、国内外の学術論文や入手可能な学術資料を最大限に活用することとなりました。 エネルギー及び栄養素についての基本的


記念日1月11日〜20日

1月11日 鏡開き 「塩の日」武田信玄が上杉謙信から塩を受け取った1569年1月11日にちなんで制定。 「アスパラガスビスケットの日」ギンビス(東京都中央区)がアスパラガスビスケットの棒状の形が3つ並ぶことから制定。 「マカロニサラダの日」デリア食品(東京都調布市)がマカロニの形が1に似ていることと、1が3つ並ぶサ・ラ・ダから制定。 「樽酒の日」長龍酒造(奈良県広陵町)が鏡開きの日を制定。


1月10日の記念日

「明太子の日」ふくやが明太子を初めて販売したことから制定。 「糸引き納豆の日」全国納豆協同組合連合会が1と10で糸の語呂合わせから制定。 「ひものの日」太助(愛知県名古屋市)が干物の干が一と十に分解できることから制定。 毎月10日:「植物油の日」(日本植物油協会)、「糖化の日」(AGE測定推進協会)、「パンケーキの日」(日本ハム)、「コッペパンの日」(全日本丸十パン商工業協同組合


日々修行133 発達障害の自業苦を業苦楽に導く

発達障害の特性がある子どもにとって、最も苦しく、受け入れにくいのは「根拠のない励まし」であるということを前回(日々修行132)書かせてもらいました。 発達障害の特性は、現在の通常の教育環境では学ぶことに大きな困難さがあり、それを克服しようとしているチャレンジャーのような捉え方もあります。そこで応援や励ましをしようと考える気持ちはわからないではありません。 また、子どもが持って生まれた才


京都の言い回し6 勉強しているは褒め言葉?

専門的な話を対面でしているときに、「よく勉強されていますね」と言われたら、これは通常では褒め言葉ととらえられます。こちらから「よく勉強されていますね」と言ったとしたら、それを貶す(けなす)ような意味で取られることは、よほどの変わり者でもない限りはないはずです。 そう考えるのは、私が京都の出身ではないからです。 京都出身の方々との仕事はPHP研究所の書籍の編集者にしても、島津製作所やオム


発達栄養学24 セロトニンの前駆物質は脳細胞に入る

体内には数多くの神経伝達物質がありますが、脳の機能に大きく影響するのはセロトニンです。セロトニンは必須アミノ酸のトリプトファンから5‐ヒドロキシトリプトファンを経て、セトロニン(5‐ヒドロキシトリプタミン)に合成されます。 セロトニンは体内には約10mgがあり、腸内に約90%、血小板中に約8%、脳内の中枢神経系に約2%が存在しています。 セロトニンは脳の神経伝達物質であることから脳幹の


1月9日の記念日

「ジャマイカブルーマウンテンコーヒーの日」ジャマイカコーヒー輸入協議会がジャマイカから日本に初めてブルーマウンテンが大量出荷された1967年10月9日にちなんで制定。 毎月9日:「クレープの日」(モンテール)


日々修行132 周囲が自業苦にしていないか

浄土真宗の開祖の親鸞聖人が残した言葉の“自業苦”と“業苦楽”は、発達障害の特性がある子どもを支援する活動では、心の中に刻んでいます。自業苦(じごく)と業苦楽(ごくらく)については前回(日々修行131)紹介させてもらいました。 発達障害の特性がある子どもは、それぞれの困難さがあるだけでなく、その困難さを理解してもらえないこと、改善を願ってもかなえられないことがあって、それだけでも“苦”を感じて