「あまたある」は、どれくらいを指すのだろうか

「あまたある」という表現を国会でした方がいて、その数を聞かれたら二つだったという返答があったときに、雑誌記者からLINEが入りました。「あまたは、いくつが常識ですか」という質問に、うちは辞書か、と思ったりもしましたが、これをきっかけにして健康の話をしてやろうという考えもあって返答しました。
「あまた」は漢字では「数多」と書きます。数が多いということで、1個や2個ではないだというというのが普通の感覚です。「引く手数多」という言葉があって、イメージからすると「引っ張りだこ」です。この「だこ」は凧ではなくて蛸のことです。凧の糸を引っ張って高くあげることではなくて、蛸の足を四方八方から引っ張って乾燥させたものが「引っ張り凧」です。
四方八方というのは言葉の綾(巧みな言い回し)で、蛸は8本、烏賊(いか)は10本と子供のときに習いました。だから八方からの引っ張りだこというのが正しい表現です。ちなみに実際には烏賊の足も8本で、2本は腕だということです。
2人からプロポーズされたのは引く手数多とは言いません。「数人」というのは少なくとも3人以上という印象があり、タレント業界では「多数参加」というと5人以上という感覚もあります。
私たちも「数多ある健康法の中から……」という表現をすることがありますが、私たちはしつこいのが調査するときには10個以上のものを引っ張り出して検討をしています。2〜3個の例では偏ったことになるからです。よく健康効果を語るときに、2〜3人の例を出して、いかにも効果があるようなことを言う人がいます。テレビに出演している先生の中には、自分の体験を話して、医学的に裏付けられるから真実であるというようなことを堂々と話していることもあります。エビデンス(科学的根拠)や統計を引き合いに出す人の言葉とは思えない、と言いたくなることもたびたびです。
100人の統計であっても、条件がバラバラであって、一定の条件に整えたら10人にしかならなかったということもあるのですが、これを「数多」のような表現をされると困ってしまいます。10%くらいは例外となることもあり、その例外だけを引っ張ってきて、いかにもすべての人に通じるようなことを言う人もいます。
ここまで書かれたら、健康を扱っているメディア関係者なら誰の、どんな説なのかわかってしまうところですが、物凄く特徴的な結果に見えても、何度も研究を重ねて、数が増えていくと、どうでもなかったということはありがちなことです。だからこそ「数多」のデータを見て、判断をしているのに、少ない数で優位性を出そうとしても無理があるというものです。