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3月4日の記念日
「バウムクーヘンの日」ユーハイムが1919年3月4日に広島県物産陳列館(後の原爆ドーム)のドイツ展示販売会にバウムクーヘンを出展したことから制定。 「酸蝕歯の日」スミスクラインが歯のエネメル質の摩耗を防ぐシュミテクトの普及のために酸蝕(3)歯(4)の語呂合わせで制定。 「真っ白なそば・更科そばの日」更科堀井(東京都港区)が、さ(3)らし(4)なの語呂合わせで制定。 「短鎖脂肪酸の
日々修行186 ホンダとの関わり
経営統合の協議と破談の流れは日産自動車のほうから断りを入れるという、本来なら弱い立場のほうが拒否の姿勢を示したのはプライドが優ってしまったというのは前回(日々修行185)書きました。 日産自動車と私の関わりは、かなり離れた間接的なものでしたが、一方のホンダ(本田技研工業)とは、もう少しだけ近さを感じていました。 初めの関わりがホンダの本社が原宿(東京都渋谷区神宮前)にあったときのことで
業苦楽9 岡山移住の業苦楽
岡山に移住して、もうじき(2025年3月4日現在)8年になりますが、その間の6年間は移住の目的としていたことも、その後に予定していたこともできない自業苦(じごく)の期間で、その後の1年と11か月が岡山で実質活動できた期間のようなものです。 その経験が業苦楽(ごくらく)につながるかどうかは、“私の心がけ次第”ではなくて、どのような自業苦の苦しみであったのかが関係していて、そのギャップが大きいほ
発達栄養学31 安全な“良質なたんぱく質”
身体の発達のためには、良質なたんぱく質が含まれる食品を不足しないように摂取する必要があります。良質なたんぱく質というのは、身体に必要なアミノ酸のうち体内で合成されない必須アミノ酸がバランスよく含まれているものを指します。 必須アミノ酸は9種類ありますが、体内で合成されないということは、食品から摂らないと不足することになります。必須アミノ酸が1種類でも不足していると、他の8種類の必須アミノ酸が
3月3日の記念日
「耳の日」日本耳鼻咽喉科学会が3が耳を連想させることから制定。 「ミミの日」聴覚障害の予防・治療の理解を広めることを目的にミ(3)ミ(3)の語呂合わせで制定。 「ささみの日」味のちぬや(香川県三豊市)が、ささ(3)み(3)の語呂合わせで制定。 「春のちらし寿司の日」あじかん(広島県広島市)が、ひな祭りの定番のちらし寿司にちなんで制定。 「3×3の日」日本バスケットボール協会
日々修行185 自業苦を業苦楽にするチャンス
親鸞聖人の教えの「自業苦」と「業苦楽」については、これまでに何回か書いてきました。自業自得の自業によって苦しむのが自業苦(じごく)、苦を乗り越えて楽と感じるようになることが業苦楽(ごくらく)ということですが、その例を現代の出来事を一つだけあげるとすると日産とホンダの経営統合話から破談に至る経緯です。 日産は通称で正式名称は日産自動車株式会社、ホンダの正式名称は本田技研工業株式会社です。
そこが知りたい49 サプリメントの摂取タイミング
サプリメントの成分は、ビタミンやミネラルだけでなく、すべての成分が摂取のタイミングが明らかにされています。いつ摂っても吸収率が変わらないものがある一方で、摂取タイミングを誤るとスルーされるだけ、つまり小腸から吸収されない成分もあります。 そのため、サプリメントのパッケージや説明資料、その商品の説明をするホームページなどに、いつ摂るのがよいのかが書かれていることが期待されますが、それは実現は不
カルシウム代謝15 骨密度に影響すること
骨粗鬆症は高齢の人に多い病気で、高齢化が進むにつれて骨粗鬆症の人が増えています。 カルシウムは食事での摂取量が低下していて、必要とされる量に比べると20%以上も不足しています。 ダイエットをしたり、加齢によって食事量が減りがちになると、カルシウムも不足するようになります。 カルシウムの不足は、骨粗鬆症の要因にもなります。骨粗鬆症が恐れられているのは、高齢者の骨粗鬆症による骨折が寝
3月2日の記念日
「ご当地レトルトカレーの日」ご当地レトルトカレー協会がカレーの日が1月22日、レトルトカレーの日が2月12日であることから3月の22日、12日のつながりから2日を制定。 「春のサニーレタスの日」全国農業協同組合連合会福岡県本部がサ(3)ニー(2)の語呂合わせで制定。 「サニの日」ワコールが生理日用のサニタリーショーツのPRのためにサ(3)ニ(2)の語呂合わせで制定。
日々修行184 ダライ・ラマとパンチェン・ラマ
ダライ・ラマについては随分と前に書きました(日々修行126)が、そのときに、もう一人の化身ラマのパンチェン・ラマについても少し触れました。そう遠くない時期に、パンチェン・ラマについても書いておこうと思ってはいたのですが、2か月ほどが経ってしまいました。 私がダライ・ラマについて詳しく知るようになったのは、日本文芸家クラブの理事だったときに同時期に理事を務めていたペマ・ギャルポさんの影響です。