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発達障害支援29 「苦手を埋めても普通になるだけ」の発想
発達障害は脳機能の発達に凸凹(でこぼこ)があり、それが生きにくさにつながることから、困難さを抱えている部分の凹を埋めることが、これまで第一に考えられるところがありました。 普通にすることが優先されてきたということですが、“普通”という表現には抵抗を感じる人は多くいます。それは発達障害がある人や、その保護者だけでなく、発達障害児・発達障害者を支援する人にも強い違和感がある言葉です。 医学
Original Mind1「迷いのない選択のためのマインド」
右に行くか左に行くか、進むべきか止まるべきかという選択の分岐点に立ったとき、思い返すことがあります。 それは、どの道を選ぶかということではなく、これまでの選択が正しくて、その結果として今の分岐点に立つことになったのかどうかということです。 反省からのスタートは望ましいことではないのかもしれませんが、分岐点で選択したことが“結果オーライ”ではなく、自分のマインドに合っていたのかを振り返る
健康デザイン27 市民スポーツの意味
スポーツは競うことが第一義とされるのに対して、競わないことを第一義に掲げているのは市民スポーツと呼ばれています。市民参加型のスポーツと理解されていて、発祥の地のドイツでは「Volks sport」と呼ばれています。Volksは市民の意味で、ドイツのフォルクスワーゲン(Volkswagen)は市民車・大衆車を意味しています。 市民スポーツは参加する人の健康と体力の保持・増進を図り、参加する人の
健康食品 敵か味方か59 複数の素材研究の会長を兼務
それぞれの業界で、数多くの役職を引き受けている人がいます。その役職が公益法人の理事であれば、さまざまな人脈がある方を入れることによって活動をスムーズにしようという考えもあります。 よく知っている人では、自身が代表の公益法人が3つあり、ナンバー2(副会長、副理事長)も複数兼務していて、理事となると10法人という状態でした。それだけ重要な方であり、他に変わる人材がいなかったのは多くが認めるところ
ツイン・ウォーク75 2種類のポールの使い分け
2本のポールを使って勢いよく歩くノルディックウォーキングと、2本のポールによって身体を支えながら安定性を高めて歩くことは、同じノルディックスタイルのウォーキングなのにポールウォーキングと呼ばれて、違うものと考えられることがあります。 どちらがよいと比較するよりも、それぞれの方の体調や、そのときの目的などによって使い分ければよいと考えています。私がノルディックスタイルのウォーキングを始めるきっ
Age free岡山43 健康づくりの不足には何を補えばよいのか
サプリメント(supplement)は補助、補充、補完の意味があって、不足しているものを補うことであることから、何も栄養補給を意味するわけではない、ということを前回(Age free岡山42)説明しました。そして、栄養面での不足をアドバイスする専門職のアドバイザリースタッフについても紹介しました。 健康づくりのために不足しているものがあれば、それを補うことは第一段階となるわけですが、そのため
身体年齢48 平均寿命に与えるコロナ禍の影響
身体年齢は平均寿命の延びと連動しているところがあります。国民の平均寿命は厚生労働省から発表されていますが、そのデータは「簡易生命表」といいます。最新版は令和5年7月28日に発表された「令和4年簡易生命表」です。 簡易生命表というのは、各年齢の人が、あと何年生きられるかを示した平均余命の推定値で、一般に平均年齢と呼ばれているのは0歳児の平均余命です。 0歳児が何歳まで生きられるかという推
エネルギー代謝90 アクティブ・リラクゼーションのすすめ
リラクゼーションというと、心身ともに緊張を解きほぐして、リラックスすることを指しています。医学的にはストレス反応として自律神経の交感神経が興奮するのに対して、副交感神経の働きを優位にすることを指しています。 ゆっくりと身体を休めることが目的とされますが、休んでいるだけでは身体をよい状態に改善することができないというのが、エネルギー代謝科学の考え方です。心身ともに回復させていくためには、エネル
噛む噛むeverybody31 歯・口腔の健康と全身の健康
歯科健診によって歯の健康を守ることは、全身の健康を守ることにつながります。歯が少ないと咀嚼が困難になるために、食べられるものが限られ、バランスよく栄養を摂取することができなくなります。 健康状態が保たれていない歯は、生活習慣病の原因にもなります。 また、噛む回数は記憶力、認知症と相関があるとの研究結果から、かかりつけの歯科医院がないことが認知症の発症リスクを増加させることも指摘されてい
私と和多志では意味合いが逆になる
私という漢字は“わたし”と読むのか“わたくし”と読むのかという語論は長く続けられてきました。意味合いとしては同じというよりも、まったく同じであるというのが戦後教育の正解ということになるのかもしせませんが、それ以前は「自分のことを示すときには“わたくし”」と発音するのが正しくて、“わたし”と発音する場合は今とは違った感覚であることを支えるために別の漢字が使われていました。それは「和多志」です。